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不平不満を書き散らすことが恥の上塗りになっている

 どの職場にも,「ぼやき」「嘆き」「愚痴」ばかり吐いている人がいるに違いない。

 本人は,それを口にすることで,ストレス解消になっているようだが,聞かされる側はたまったものではない。

 パーソナリティ障害をかかえる人の中には,人間関係がうまくいかない原因が自分にあることを知る機会がなく,周囲のせいにしてばかりで何の改善も得られない気の毒な人が多いだろうが,迷惑をこうむっている側としても,「障害」の理解を深めることでしか,自分にふりかかってくる災難を緩和できない悲しさがある。

 せめて,掃いて捨てるほどあり,気に入らなければいくらでも読み飛ばせるこのようなブログなどで不満をぶちまけ,ストレスを解消していただきたい。

 ブログを読んでいると悲しくなってしまうのは,こういうブログに書かれている不平不満も許せないといいながら,自分自身が思いっきり不平不満を書き続けている人である。

 「自分だけは,どんなことをしてもスルーされる」と信じてやまない人は,自分が「裸」であることに気づかない「王様=幸せ者」なのだろう。

 気づかない方が本当に幸せに生きられると考えるかどうかは,人によって意見が異なるかもしれないが。

 これから,人とのかかわりを持たないまま一人暮らしをする高齢者がますます増えていく。

 ネット上で書き散らかすしか不満のやり場のない人たちはどうやって救ってあげられるのだろうか。

 『学び合い』の授業が大嫌いなら,そうではないアクティブ・ラーニングの授業で子どもたちを惹きつけた自分の実践をどんどん紹介すればよい。部活動のようにそもそもが「アクティブ」のものではなく,1時間1時間の授業の実践である。

 せめて,幼稚な不満をぶちまけているだけのブログを「よいしょ」するコメントだけはやめてあげてほしい。

 ただでさえ恥の上塗りで惨めさが際立っているところに,「褒め殺し」はきつすぎるだろう。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より