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「主力」の異動による学校の教育力低下を避ける方法

 間もなく新学期が始まる。

 新学期に向けて,戦々恐々としている小中学校があるはずである。

 今まで「学校を支えていた」と周囲が認める「主力」の教員が異動してしまうことがわかっている場合。

 一言で「主力」といっても,様々な「能力」で学校を動かしていた人がいる。

 教員の管理職のパイプ役。

 制度的には「主幹」という新しい職がそれを担うべきだが,実質的なパイプ役,調整役は他にいる場合もある。

 生活指導の支柱的存在。

 ただ厳しいだけでなく,生徒からの信頼もあつく,「この先生に言われたら仕方ない」と思われているような存在。

 生徒にとっての心の支えとなっている存在。

 養護教諭の場合もあるし,副担任を長くつとめている「やさしい先生」がこれにあたる。

 成績処理等,ICTに詳しい人。

 コンピュータに詳しいからといって,何でもその人におしつけていると,いなくなったときにお手上げになる場合がある。

 これらの「主力」が抜けるとき,「抜ける人に匹敵する能力をもっている教員」の転入を管理職が教育委員会に求めるのだが,教員異動はそう簡単にはいかない。

 残った教員の中で,「主力」の役割を継げる人がいることが望ましい。

 人材育成は,「主力」の側にとっての大切な「任務」でもあるのだが,児童生徒の指導以外に,教員の人材育成も計画的・意図的にすすめることは可能なのだろうか。

 この点で最も余裕があり,かつ,それを行うべき立場であるのは「管理職」である。

 だから,教育委員会の側として,「管理職」を評価することは簡単。

 力のある人を自分の学校から異動させ,それより力が劣る人を他校からもらって,学校の機能が維持できている管理職は,管理職としての能力が高いと評価できる。

 もちろん,「学ぶ姿勢を大切にする」学校文化も大切である。

 子どもに「教え込もう」という意図が強い学校のうち,「自ら学ぼう」とする意欲を育てられていないところでは,教員自身も「自ら学ぼう」とする気持ちが乏しいことが多い。

 よく,「新採の教員で有望かどうかは,質問の数が多いかどうかでわかる」といわれる。

 黙って指示されたことしかしない,または最初から自己流で行動する,こういう教員の方が圧倒的に多いかもしれないが,こういう場面ではどのように指示をしたらよいのか,こういう場面では何をしてはいけないのかなど,若いうちに習得しておかないと,ベテランになっても「指導力の乏しい」教員になってしまう。

 「質問文化」は,子どもも,教員も,同じようにもっていることが望ましい文化である。

 PDCAサイクルは有名だが,PDQCAサイクル,PDCQAサイクル,QPDCAサイクルなどと名称を変えて,「質問」「疑問」を大切にする文化を共有していきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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