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なぜ塾の授業は「面白い」のか? ~コメントへの返信から~

 塾の授業が本当に「面白い」ものなのかどうかは,塾の講師が学校にやってきて,1時間目から6時間分,塾の授業をやってみて,一方,塾では学校の教師が出向いていって,学校の授業の内容を3時間くらいやってみて比較してみるとわかりやすいかもしれませんね。

 何をしばりにするかというと,塾の講師は,塾のテキストではなく,教科書を使うことが義務。

 学校の教師は,教科書ではなく,塾のテキストを使うことが義務。

 もしこのような実験をしてみたら,どういうことがわかるでしょうか。


~いただいたコメントへの返信です~

コメントありがとうございます。

私は塾での講師経験がありますが,基本的に塾の学習はできあいのテキストや教材を毎日決まった部分を決まった分だけ進む仕組みです。

小中学校でも教科書があるのだから基本的に同じ仕組みでは?と思われる人も多いでしょうが,学校では生徒の興味・関心・達成度の差・集団としての力量向上などを考慮しながら,教科書以外の教材やICTも駆使して「プリントやテキストに頼らない」授業を実践するのが基本です。新宿区の小中学校はいかがでしょうか。

今話題のアクティブ・ラーニングは,大学などとは異なって,小中学校では昔から行われています。いわゆる「話し合い活動」を頻繁に行う教師もいて,「生徒各自の学習の主体性を重視する」ことは教育課程でもうたっている学校は多いのです。

それでも・・・・学力が向上しない子どもが多かったり,もっと質の高い学習を望む親は,・・・実は,入試で効率よく得点がとれる技量を高められるというのが最大の魅力なのでしょうが・・・塾への期待を学校より高くもっている現状なわけです。

言うまでもなく,授業が上手くできない教師が多数であることも事実でしょう。

私は社会科の教師ですが,塾講師の経験を生かし,夏休みに行った国語と数学の補習によって,参加した生徒の業者テストの偏差値を「40」から「50」くらいに・・・つまり,平均点くらいとれるところまで向上させることができました。

授業に工夫などはほとんどありません。高校入試の良問を選んで解かせたり,毎回計算と漢字の小テストを繰り返したりしただけです。何がわかっていれば,どういう問題を解くことができるのか。この問題が解けないのは,何ができないこと,何を知らないことが原因なのかを説明しただけ。

国語や数学の授業をしなくても,入試問題を解けるようにすることは可能だということです。

行政が,塾に通うお金までばらまき始めたら,日本の教育はどうなるのでしょうか・・・。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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