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なぜ「朝自習」が「朝読書」に変わったのか? なぜ「朝○○」があるのか?

 生徒が「遅刻」になるのは朝8時何分すぎか?

 私が勤務していた公立中学校では,8時20分までに登校しなければならなかった。

 担任教師が教室で出席をとる時刻が8時20分。これ以後に登校すると「遅刻」になる。

 担任教師は出席をとると,職員室に戻り,「職員の朝の打ち合わせ」が始まる。

 授業の開始は8時40分である。

 8時20分から40分まで,教室には先生がいなくなる。

 この間の時間に生徒は何をしているか。

 昔は「朝自習」がさかんに行われていた。教材は親から徴収した教材費で購入した市販のものであることが多い。

 ドリルを解いて,自分で(隣同士で)採点する。

 これは「授業」とよべるのかどうか。

 残念ながら,指導者がいないのだから,これは「授業」とはよべない。

 だから15分×3日分やれば,1単位時間を履修した,ということにはならない。

 ある時期から,「子どもの読書量が少ない」ことが話題になった。

 「朝自習」は,わからない子どもを中心に,教師もいないため効果的な学習になっていないという反省もあった。

 ふくらんでいる「教材費」を減らそうとする動きもあった。

 そこで,「朝読書」に切り換えられた。

 はじめのうちは,「果たして生徒は黙って10分,15分の間,本を読むだろうか」と心配だったが,荒れている学校でも落ち着いて生徒は本を読んでいることが伝わり,浸透していった。

 この「読書」の時間も,「授業」とは呼べない。

 学校にはこのように「隙間時間」はあっても,教師がいなければ「教育活動」にはならない。

 せめて「自主的な学習活動」の時間としか呼べない。

 ・・・・・はずなのだが,「アクティブ・ラーイング」を『学び合い』程度の「学習」で授業としてやってもよいという話になると,教師がいるいないにかかわらず,子どもが取り組んだだけで「授業」になってしまう。

 いずれ,「授業」という言葉も私語になっていくのかもしれない。

 そして,「教師」という言葉も死んでいくのだろう。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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