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なぜ指導案が書ける実習生の授業が下手で,指導案が書けない実習生の方が授業が上手なのか?

 一方的な知識注入の教え込み授業の指導案など,すぐにできてしまう。

 「指導書」の丸写しでも,一応の指導案になる。

 私の学校の教育実習では,よく表題のような現象が起こる。

 指導案が書けないのは私の学校の卒業生で,指導案が書けるが授業が上手く成立しない他校の卒業生である。

 なぜ指導案も書けないのに,授業が成立し,子どもの学力も定着してしまうのか。

 指導案が書けているのに,授業が途中で破綻してしまうのはなぜか。

 それは,第一に,授業とは,フローチャートで示せるような単純なものではないということである。

 フローチャートで示せるようなものは,コンピュータでも代用可能だから,プレゼンソフトのスライドを順番に見せていけばよい。

 せいぜい3パターンくらい用意しておけば足りるだろう。

 しかし,授業では子どもが思いも寄らないところでつまずいたり,意外な質問を発したりしてくる。


 「想定外」の動きの場合は,当然ながら,指導案には書かれていない。

 指導案絶対主義的な指導を行う教師もいるかもしれないが,

 その教師が教えた子どもたちは,フローチャートのような授業に慣らされているから,同じような授業をしても成立する仕組みになっている。「自主的な学び」をしないようにしつけられている子どもたちなら,指導案だけが頼りでも授業は成立するように見えてしまう。

 私の学校の卒業生は,授業中によく「想定外」の状況に出会った経験があり,その対処法を自ら学ぶことを通して体得していることが多い。

 というより,むしろ授業のペースを乱す張本人が教育実習に来た方が,授業は格段におもしろくなる。

 一斉授業であるにもかかわらず,全員がしっかり頭を使い,ああでもない,こうでもない,これなら納得できるのではないか,いいやそうじゃない,こういう見方こそが正しいはずだ,いやいやそうではない・・・全員を巻きこんだ議論に発展する経験を子ども時代にしていれば,教師になっても一向に慌てる必要はない。

 しっかり子どもたちに発言し,それを受け止めていくことが教師の仕事となる。


 交通整理は難しいものだが,それはベテランでも同じ。

 指導案が書けただけで満足している学生は,子どもたちのあまりの

 「学習意欲の高さ」に,自分自身の勉強不足を身にしみて感じてしまう。

 こういう経験は貴重である。

 コミュニケーション能力のある人,実践をしている人が書いている教育論と,そうではない人が書いている教育論の違いは一目瞭然だろう。

 一般的な原則や法則から少しでもはずれた人間を除外する教師などに,

 アクティブ・ラーニングを進める能力はないことだけは確かである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より