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小学校における時間割の柔軟な編成は,教える側の都合に合わせた劣悪な学習環境を生む原因となる

 45分授業を15分×3にわけて実施する初任者の授業を指導したことがあるが,じっくりと参観した上で,さまざまな問題点を発見し,安易な実施を避けるように指示した経験がある。

 以前にも書いたことだが,総合的な学習の時間が「補習」のために運用されているような実態があった(今もやっているところがあるかもしれない)。

 15分でできることと言えば,漢字や計算のテスト程度のことである。

 ある学校では,実際に漢字を書いたり計算をしている時間よりも,採点を待つ時間の方が長くて,無駄が多すぎると指摘したことがあった。

 これが,次期指導要領では英会話練習に費やされることになるかもしれない。

 担任がほとんどすべての教科を担当する小学校の場合は,週ごとの計画ではなく,自分の都合でいくらでも時間を延ばしたり縮めたりすることができる。

 子どもにはテストばかりやらせて,自分は管理職試験の勉強をしていた教師をこの目で見たこともあった。

 最もひどいのはティームティーチングのはずなのに,自分の机で事務作業をずっとしている問題教師の現場をおさえたこともある。

 時間割はこのように柔軟にというよりは,自分勝手に操作されて実施されているケースもあり,もし文科省が弾力的な時間運用を勧めるようなことになると,ますます悪用の頻度が高まるおそれがある。

 15分×3という方法は,英語指導をするにしても,できるだけ避けるべきである・・・というのが小学校の教育現場を見たことがある私の強い思いである。

 都道府県や市区町村の教育委員会では,文科省が言ったことに反論することはないから,むしろ「こういう方法がありますよ」と宣伝しにかかるおそれがある。

 そもそもなぜ単位時間が45分であるのか,その根拠すら曖昧になるような施策は,ただでさえ問題が多い小学校での教育の基盤を破壊するおそれがあることを,できたら多くの方に知っておいていただきたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より