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PDCAサイクルが学校でうまく機能しない理由

 PDCAサイクルを重視した学校運営,教科指導等を経営目標としている学校の中には,それがうまく機能していないところもあるだろう。

 その理由と考えられることのうちの1つをここで指摘しておきたい。

 それは,「Question」の欠如である。

 PDCAサイクルは短期,中期,長期の計画・実践の見直しのために行うわけだが,そもそも「前年踏襲型」の学校には縁のない話である。

 組体操を延々と続けることも,「伝統だから」「続いているから」というのが「続けている」理由で,もちろん「生徒に達成感を味わわせることの大切さ」も見いだせるのだが,組体操でしかそれが得られないわけではないはずである。

 子どもたちがいかに「ひよわ」になっているかもよくよくわかっていて,怪我のリスクが高まっているにもかかわらず,あえて「つよさ」を求める場合には,死を覚悟で臨ませる,という気概も無視はできないが・・。

 「新たなプランづくり」をしようという発想がない学校には,そもそもPDCAサイクルを意識する文化はないのである。

 それもこれも,計画,実行,評価,改善の各段階で,しっかり立ち止まって「なぜ?」とか「おや?」とか「違和感がある」とかいった「Question」を大切にする文化がないことが背景にある。

 そしてさらにその背景には,「時間的,精神的余裕がない」ことがある。ただこれは,教育者としては言ってはならない言い訳である。

 私の初任校では,学年の会議にそれはそれは長い時間を要したが,いつもと同じ行事計画を検討するだけでも,多くの「意見」「提案」が出された。その背景には,「過去の反省」があり,今年の子どもたちの実態を踏まえての「対応策」がある。

 「これでいいのか?」「これでいいと思ってやっているのだが,どこかおかしい」「何が足りないのか」「何が過剰なのか」といった「疑問」を教師たちは常に持ち続けていた。

 時間をかけるべきところで,しっかり時間をかけることも教師にとっては大切である。

 若い先生方には,ぜひ私と同じような経験をさせてあげてほしい。

 一つ前の記事で,

>PDCAサイクルは有名だが,PDQCAサイクル,PDCQAサイクル,QPDCAサイクルなどと名称を変えて,「質問」「疑問」を大切にする文化を共有していきたい。

 と書いた理由を記しておいた。 

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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