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学校はなぜ法令で定められていない「通知表」を作成するのか

 学校は,学校教育法施行規則の第1章「総則」の第3節「管理」に示されている第28条の4の定めにより,
 
 「指導要録」をつくることになっていますが,「通知表」に関する規定はありません。

 法令の規定はないのに,なぜ「通知表」(規定がないので,書式等もこうでなければならない,というものはありません)を作成しているのか。

 答えは簡単ですね。

 子ども本人にしてみても,保護者にしてみても,学校の教育の成果として,子どもにどのような評定(評価)がつけられたのかを知る権利があるでしょう。

 その評価が,正当なものであることを納得する権利がある。

 欠席,早退,遅刻,見学,欠課などの数は,法令で定められている出席簿を見ればわかるのですが,こちらも確認したい。

 通知表があれば,チェックすることができるわけです。

 前後期制なら2回,3学期制なら3回,評定が出される仕組みになっています。

 指導要録に記載される評価・評定は学年末だけのものなので,年に1回出されればよいとも考えられるのですが,区切りになる時期に評価を受け取った方が,励みになったり目標を確認できたりする。

 1クラスの人数が少なければ,成績関係のデータなどは,毎月示すことも可能だし,極端に言えば毎日でも不可能ではありません。

 子どもに学習成果のフィードバックを行う頻度が高いほど,目標と実力とを自覚した学習を進めることが期待できると考えることができます。

 そういえば,以前にとても手の込んだ通知表を考案した話を書きましたが,アナログにこそ意義があると考える人の割合は減っているでしょう。

 将来の学校では人工知能で動くプログラムにより,帰宅後15分程度で学習内容がどれだけ理解できたかを確認することができるようになって,評価の手間も省かれるようになるかもしれません。

 昔は,通知表のない学校もありました。

 うらやましいと思う子どももいると思いますが,

 「評価すべきことだけが書かれたもの」に通知表が変われば,

 「何も書かれていない通知表」よりは,「何かが書かれている通知表」をもらいたくなり,

 少しは勉強もがんばれるようになるかもしれませんね・・・。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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