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運動会の組体操に対する国の規制の是非と,管理職のなり手がいなくなっていることの関連性

 文科省が運動会の組体操に対する規制を行うかどうか,行うとしたらどのようにするかの検討に入るらしい。

 日本は民主主義の国だから,文科省が調査したデータに基づき,国会できちんとした議論が行われ,最終的に新たなルールがつくられることになる可能性がある。

 国としての「逃げ」の手段もある。

 それは,「校長の適切な判断に委ねる」という通知を行うこと。

 職員会議は「決定機関」ではないために,教職員の8割が組体操X段廃止に反対していても,校長が廃止と決定すれば廃止にできる。

 しかし,慣例として,校長は教職員の能力や自主性を重んじる経営をしているから,大多数の反対を押し切って廃しすることは難しかろう。

 だから,気の弱い校長たち,そして責任を取りたくない教育委員会は,ぜひ国に「基準を設けてくれ」とせがむ。

 かつて,こうしてできた「ルール」の一つが何であるか,教職員ならすぐに想像がつくだろう。

 これから,文科省→都道府県教育委員会→市町村教育委員会→学校という経路で,調査がまわってくる。

 組体操を行っているか,いないか。

 最大で何段のピラミッドやタワーを行っているか。

 過去何年間で,事故があったか,なかったか。

 あったとしたら,どのような事故だったか。

 指導の過程,実施の状態は適切だったか。

 事前の練習での怪我の発生件数とその症状は。

 大学のセンセイでは集めきれない全国の学校のデータが,2週間もすればすべて集められる。

 優秀な管理職がいる学校では,報道後にすぐに調査を開始するはずだから,回答までの時間はさほどかからないはずである。

 データをどのように分析するか,結論をどうするか,文科省ではすでに「下書き」ができあがっているだろう。

 私の予想は,上に書いたとおり,「学校の判断に任せる」というものである。

 その場合は,「適切な指導のもとに行うこと」という指示。

 もちろん,学校側はとても困る。しかし,学校には自律的な経営が求められているし,学校の教師もそれを求めている。だから,文句は言えない。

 重大事故が発生する確率が,ピラミッドやタワーが高くなるほど上がる。

 これこれの事故の発生の確率は0.1%以下,この程度の怪我の確率は0.3%・・・・・

 学校側としては,そんなデータは何の参考にもならない。

 職員会議が長引き,話し合いでは決着がつかず,最終的には多数決で決めたくなってしまうが,

 多数決をとる行為自体が禁止されている・・・・。

 組体操にかわるほどの「教育的効果が高い事例」を添えてくれるだけで,校長の精神的負担は軽くなるはずだが・・・・。

 国が規制をかけるべきかどうか。
 
 ネット上のアンケートでは,4割が賛成,5割が反対という状況のようだ。

 私もこうしたケースで国の規制が必要という事態になれば,

 今後ありえないほどの「規制」によって,学校が,がんじがらめにさせられてしまう危惧を抱く。

 危険を取り除くための努力をいくら行っても,子どもたちがいくら頑張りたいといっても,

 実施する権利を奪うのが規制だからである。

 「管理職のなり手がいない」という学校現場の苦しみが,少しわかっていただける事例にもなっている。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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