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「小学生レベルの作文しか書けない大学教授」とはだれか?

 あるブログで「小学生レベルの作文しか書けない大学教授」を責めるべきだという主張が行われている。

 同時に,「小学生レベルというだけで,レベルが低いと決めつけるのは,決めつける人の脳のロジックがおかしい」と主張している。

 私は「小学生レベルの作文しか書けない大学教授」と書かれているので,

 「(ある)大学教授の作文のレベルは小学生と同じである=レベルが低い」と主張していると解釈した。

 「小学生レベルというだけで,レベルが低いと決めつけた」わけではない。

 「小学生レベルというだけで,レベルが低いと決めつけ」た人は,いったいどこにいるのだろう。

 まずは,大学教授の作文を実際に紹介し,それが「小学生レベル」であることを証明していただきたい。

 また,「責めるべき」というなら,直接ご自分が本人に対してなさるべきである。

 ただし,侮辱罪に問われないように。

 侮辱罪(ぶじょくざい)とは,事実を摘示しないで,公然と人を侮辱することを内容とする犯罪である(刑法231条)。

 「侮辱」とは,他人の人格を蔑視する価値判断を表示することをいい,態様を問わないとされている。

 「脳のロジックが壊れている」という表現を使う人を,皆さんはどう思いますか?

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より