「すべての子どもを好きになる決意」を自分自身に求める教師の職業病
認知領域の教育目標には,
「~を何というか」という問いに単語で答えることができる程度の浅いものから,
「~の意義とは何か」を説明することができる「解釈」程度のもの,
自ら課題を発見して解決への道筋を説明することができる深い程度のものまで,
さまざまある。
同様に,情意の領域の教育目標には,
「相手の異なる考え」などを受け入れることができる程度の浅いものから,
適切な反応を示すことができる程度のもの,
そして意識することなく,反射的によい態度がとれる・・・つまり
習慣化されているほどに内面化できているレベルのものがある。
「すべての子どもを好きになる」という教師の目標設定は,
情意面でも特に浅いタイプのものであることを自覚しておかなければならない。
そして,こうした情意面の目標については,「それが何のためなのか」がわかっていなければ,
「手段」と「目的」の混同が起こってしまう。
教師にとって,「すべての子どもを好きになる」ことが職務であるわけではない。
そして,たとえ「すべての子どもを好きになる」ことができても,
職務を果たせるとは限らない。
逆に,「すべての子どもを好きになる」ことができなかったとしても,
職務を果たすことができる可能性は残されている。
このようにピントはずれを話を始めるのは,決まって小学校の教師であり,
小学校の教師上がりの大学の教員である。
手段と目的の違いがわかっていない言動が目立つが,
「すべての子どもを好きになる決意をする」などはその最たるものである。
そういう決意をしようとしている時点で,自分を恥ずかしいと思わなければならない。
医者が,「すべての患者を好きになることを決意する」と言い出したら,
患者はどう思うだろうか。
中には,おしゃべりをしに病院に通う人もいるわけで,そういう人にとっては「いいお医者さん」になるかもしれないが,医者の職務とは何だろう。
教員の職務とは何だろう。
「すべての子どもを見捨てないこと」とはどういう意味なのだろう。
教師がすべきことは,「知識に代表される認知領域,態度や習慣として現われる情意領域,それに技能面などを加えた各領域の能力を,すべての子どもに対して可能な限り伸ばしてあげること」である。
そういう目標が定まって,「方法」はどうしたらよいかの検討に入る。
それぞれの「方法」について,本当に「すべての子どもの能力を高めているか」を評価していくことになる。
こういうことは教育心理など,大学の教職課程で履修済みのことであるはずだ。
教師はいつの間にか基本中の基本を忘れ去り,独断でいい加減な教育論を展開し出す。
教員免許更新講習は,「講習」だから,「失効しないですむ」ことが前提である。
そのうち,教員免許更新試験になる日がやって来そうで恐ろしい。
« 教師は「子どもを一人も見捨てないこと」より,自分が「子どもに見捨てられない」ための努力をすべきである | トップページ | 教育の中毒と使命感 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「教育改革」カテゴリの記事
- 改正教育基本法第16条の問題点(2018.12.28)
- 今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・(2018.11.24)
- 国後島で考えたこと~日本の教育(2018.10.02)
- 都合の悪いことに目を向けさせなくする教育(2018.09.08)
「リーダーシップ」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- マリオが総理大臣ならピカチュウを防衛大臣,ハローキティを外務大臣に(2017.12.02)
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
「学習の評価」カテゴリの記事
- 創造性を奪うポートフォリオ評価(2018.06.05)
- ペーパーテストだけで「評価」ができる「教科」はない(2018.05.26)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
「いじめ問題」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 現場感覚のない人が社会感覚のない人にアドバイスを送る教育の世界の不思議(2018.12.01)
- いじめや暴力行為が多い自治体の「いじめ」対策の共通点(2018.10.31)
- いじめがない(認知されていない)学校で,いじめがある学校よりもたくさん実施されていることとは?(2018.10.30)
- データから見える「いじめ」発見の難しさ(2018.10.29)
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「仕事術」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「小中連携」カテゴリの記事
- 中学校化している?小学校の授業(2018.10.15)
- なぜ学習指導要領が「小学校寄り」になるのか?(2018.10.13)
- 小学校英語教育の最大の欠点(2018.08.11)
- 中1ギャップを考える前提としての小中ギャップ(2018.05.28)
- 小学校に望む本当の「働き方改革」=小学校が変われば「中1ギャップ」解消に一歩近づく(2018.01.30)
「道徳」カテゴリの記事
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 五輪ボランティアの数字を見て(2018.12.27)
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- チコちゃんに叱られる~おやじギャグが言える年齢になると,ホンネも漏れやすい(2018.11.11)
- 道徳教育が成立するための条件とは(2018.10.31)
「教育実習」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「教員の評価」カテゴリの記事
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- ペーパーテストだけで「評価」ができる「教科」はない(2018.05.26)
- 子どもの人間関係に対する不感症の影響力(2018.03.28)
- 自分のダメさを完全に棚上げできる才能の伝授(2017.12.29)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「教員研修」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「生活指導」カテゴリの記事
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- 1000人当たりの暴力行為発生件数ワースト5は(2018.10.29)
- 「成果」を出すための「時間」(2018.10.10)
- 子どもたちにとっての「迷惑行為」とは何か(2018.09.23)
「『学び合い』」カテゴリの記事
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 人間の醜さを露呈させる教育方法(2018.01.15)
この記事へのコメントは終了しました。
« 教師は「子どもを一人も見捨てないこと」より,自分が「子どもに見捨てられない」ための努力をすべきである | トップページ | 教育の中毒と使命感 »
コメント