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「だれも見捨てない」というのは,まずは教師から教師へ向けられるべき言葉である

 年末年始は,家族に付き合ってどうしても芸能人をテレビで見る機会が多くなった。
 
 テレビ局やファンのための行動様式をしっかりと体得しているプロたちを見ていると,

 そこに「豊かな人間性」を感じ取ることができる。

 芸能人の「人気」の源は,単なる容姿の美しさや話のおもしろさだけではないことが画面から伝わってくる。

 もちろん一部には薬物に手を染めるなどの違法行為に身を堕としていく人たちもいるが,

 あとあとで考えれば,「そういうことがあってもおかしくない」と思われてしまう言動が見つかるのだろう。

 激しい競争の世界を生き抜く決め手は何か。

 「勝とう」という卑しさをもたずに生き残る秘訣は何か。

 それは,私には真似ができないことだが,「いらだつ」という瞬間を経験したことがないのでは?と思わせるほど,人に対する深い信頼感を失わない力であると思われる。

 そういう人は,きっと教職にも向いている。


 逆に,「いらだつ」習慣をもつ人では,周囲を感化させきることはできない。

 教師という職業は,現場についてよくわかったことだが,筆記試験でどんなによい点をとり,

 どんなにご立派な論文を書いてみたところで,

 子どもとの言葉のキャッチボールができなければ,成立しない仕事である。

 教師は,ときに「いらだち」を隠せなくなる。

 それは,子どもに対してだけではない。親に対しても,同僚に対しても,

 管理職に対しても,教育委員会に対しても,文科省に対しても,政府に対しても,

 マスコミに対しても,「いらだつ」ことがある。


 最も子どもに悪影響を及ぼすのは,教師から他の教師に対するいらだちである。

 「どうしてこんな人間が教育現場にいるのか」といういらだちを教師が抱いていることは,

 知らず知らずのうちに子どもたちに伝わっていく。


 授業がうまくできない。

 子どもの意見をうまくひきだせない。

 子ども間のいざこざを解決できない。

 そんなことは,子どもにもすぐにわかる。

 「だれも見捨てないって,どんなことですか?」と真面目な顔をして同僚に食い下がっている教師を見たら,子どもも大人もドン引きしてしまうだろう。

 「察する」ことが能力的に無理な教師は現場では本当に使えない。


 子どもに伝わると状況がさらに悪化するのは,

 そういうダメ教師をお荷物に感じている雰囲気を他の教師たちから感じ取るときである。 

 教師の中にお荷物がいるのだから,

 子どもの中にもお荷物がいて当然である。


 教師は,お荷物がいなくなればよいのにと本心では願っている。

 内心では,子どもにもお荷物がいることを子ども自身はよく知っている。

 教師も同じであるに違いない。

 だが,「教育者」である教師は,そういう気持ちが子どもに伝わらないように,努力しているのだと子どもは気づく。


 「だれも見捨てない」なんてことを合い言葉にするような人間には,

 「だれかを見捨てようとしている自分」への自覚がはっきりとあるはずなのだ。

 でなければわざわざそんな当たり前のことは言葉にしない。

 子どもは当然だが,

 同じ仲間の教師を見捨てようとしている自分への自覚はあるのだろうか。

 それが第一歩である。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より