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自分のブログには価値がないと表明する必要はない

 多くの読者を集めている他人のブログの欠点を指摘するとき,その根拠となる具体的なデータをしっかりと挙げているわけでもなく,ただ感情的にこきおろしているだけのブログは「屑」にすぎないのだが,そういうブログを記すことで精神的な安定を保ち,実社会に迷惑をかけない生活が送れるのであれば,社会全体にとっては利益に結びついていると解釈することもできる。

 生活保護を受けている人からパチンコで遊ぶ権利を奪うことに賛成の人が多いようだが,反対する人が主張するさまざまな理由の中に,同じようなものがある。

 教育に関する主張は,百花繚乱で,見識の高さがうかがえる文章から何の意義も見いだせなかったり,感情のまま書かれていると思われるものの中に本質的な良さが垣間見えたりし,どちらかというと権威がある方がうさんくさいという安全なスタンスが確保されているように思える今の日本はまだ健全な国だと思えてくる。

 教育の場合は権威に対して隷従的になっている一部の教員がいたり,担任教師に「人質にとられている」という意識で何の批判もできない保護者がいたりと,現場では危ない面がいくらでも見えてくるが,社会全体としてはまだ健康体に近いと思われる。

 どこで読んだか忘れてしまったのだが,出版の中でも雑誌の売れ行きが伸び悩んでいることに対して,かつてある雑誌の編集者だった人が語っていたことが印象に残っている。

 昔は,とにかく面白いと思ったことを記事にしていた。

 それで売れていた。

 今は,会議をして,「この企画はだめだ」といってつぶされるものがある。

 そもそも雑誌なんて,会議をしてその内容を決めるものなのか。

 実は,本当に読者が読みたいと思われるものは,今でも売れ続けている。

 読者のターゲットをしぼって,そのニーズに合った・・・なんてやり方をすること自体が,実は読者離れを引き起こしているのではないか・・・。

 だから,何か言葉で表現したい人は,本当に自分が語りたいことを自分の言葉で書けばよいのだということ。

 相手の主張の根拠はなんだと読まれてもいない自分のブログで語っても意味はない。

 自分から反証を探してくるとか,自分の足で稼ぐ努力をするべきである。

 ただ妄想だ妄想だと叫んでいるだけでは,自分自身のブログが,価値がないと自分が主張している通りのブログになってしまう。

 価値があるかないかを決めるのは読者なのだ。

 価値がないと思えば,読むのをやめればよい。

 人生の残された時間を無駄にすべきではない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より