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« 目的意識が欠如しすぎるダメ教師と,目的意識に縛られすぎるダメ教師 | トップページ | 「すべての子どもを好きになる決意」を自分自身に求める教師の職業病 »

教師は「子どもを一人も見捨てないこと」より,自分が「子どもに見捨てられない」ための努力をすべきである

 「学級崩壊」という言葉はだれもが知っていることと思うが,

 正真正銘の「学級崩壊」状態を目の当たりにしたことがある人はどのくらいいるだろうか。

 私の学校に通う中学生たちの中には,小学校時代の「崩壊状態」を事細かに解説してくれる生徒がいる。

 多くの場合,元凶は担任教師にあるという。

 子どもの立場から見れば,そういう結論になるのだろう。

 私は「学級崩壊」の研究者ではないから,担任教師にインタビューしたことはない。

 子どもの口から語られる数々のエピソードの真偽を確かめたこともない。

 ただ,そういう経験をした生徒ならではの「心の荒れ」は,如実に感じ取ることができる。

 小学生たちに「見限られる」担任教師は,学年が上がるほど増えていく。

 それだけ子どもたちが成長している証しでもあるが,

 教師の方も成長してくれないと困る。

 小学校によっては,高学年の担任が固定化している状況があるらしい。

 そんな学校では,『学び合い』など夢のまた夢の話である。

 いや,実は,そういう学校でこそ,本当の『学び合い』が行われているのかもしれない。

 教師が本当に頼りにならない。

 説明が下手で,学習に興味を抱かせてくれない。

 「俺の話より,ビデオの方が正確だ」なんて言って,

 教育用ビデオばかりを見せられた子どももいる。

 こういう環境で育つ子どもにこそ,『学び合い』が必要なのだろう。

 教師が「子どもを一人も見捨てない」などと偉そうなことを言っている場合ではない。

 「子どもに見捨ててもらう」ことを目標にし,『学び合い』を促すというやり方もありかもしれないが,

 リスクが大きすぎる。

 最近,「教育された形跡が乏しい小学7年生」に出会う頻度が高まっている。

 子ども同士の『学び合い』の成果には,限界がある。

 保育園段階でなら,ありなのかもしれない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より