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従来の学習指導要領でも,「アクティブ・ラーニング」が重視されないことはなかった

 今さら書くまでもないことだが,「言語活動の充実」を改訂の柱の1つにした現行学習指導要領も,従来のそれでも,「アクティブ・ラーニング」が重視されていないということはなかった。

 だから当たり前のことが当たり前に行われるようにすることが,改めて求められているということを行政は強調しなければならない。

 不安を煽るようなタイトルの本を出したり,

 「何か乗り遅れているような気分にさせる」ことで本を買わせようとしたりする人間が増えている。

 大学入試を改革するといっても,

 国立大学の2次試験のようなものを最初から行うような改革が実現不可能であることは,

 国立大学の関係者はもちろん,大学入試の知識がある人間だったらだれでもわかっていたはずである。

 採点の基準がブレてしまう可能性がある問題の方が,「書かせる意味がある」ことを想像することはそれほど困難ではないだろう。

 はっきりとした採点基準ができ,だれが採点してもその基準をしっかり満たすような問題に,

 どれほど書かせる意味があるのか,実証的に示すことも難しくはない。

 結局,「知識がなければわからない」問題に落ち着いてしまえば,知識を問えばすむという話になっていくし,

 「知識がなくてもわかる」問題が増えれば,そもそも勉強する必要もなくなってしまう。

 「たまたま答えられたにすぎない」といった問題を出せば,非難囂々となることは容易に想像がつく。

 作問経験がある人間ならば誰でもわかる話が,

 政策を立案する側にはそういう人間がいなかったわけようだから,混乱するのである。

 受験とは無縁の世界で過ごせる小学校教師には何の関係もないが,

 中学校,高校の先生方は,不安に思うよりもまず,

 定期考査問題を「記述式ばかり」のものに変えていけばよい。

 できれば小学校教師も,業者がつくっている単語で答えればすむようなプリントを使うのをやめて,

 すべてまとまった文章で答えるようなテストを自作していけばよい。

 子どもが上級校に進学して,戸惑うことがなくなる。

 今まで時間割と同じ50分で解かせていたテストは,70分とか90分とか長くしていく。

 今年度最後の学年末考査から変えてみればよい。

 ・・・・反対されるからだめ?

 そう。採点に時間がかかる問題は嫌だ?

 学校はそういうところで,教師とはそういうものだから,学力がつかないのである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より