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自分に害をもたらした「職業」の人間はみんな敵

 教育ブログに詳しい方はおわかりのことと思うが,この「教育論・教育問題」カテゴリーには,とても「教育」とはほど遠い内容の記事ばかりをUPするサイトが存在している。

 障がい者への差別で注目を浴びようとする計算高いアメリカ人と似たような人である。

 自分に「害」「迷惑」をもたらした人間への恨み辛みを綴っているだけの何の役にも立たないブログである。

 症状は明らかすぎるほど明らかである。

 問題が自分にあることに気づけない。

 自分が問題だと言っている対象に,自分自身が含まれているということに気づけない。

 私はこういうのが学校現場でも多くの教員や児童生徒に迷惑をかけている現状を知っている人間である。

 気の毒なことに,教育現場は,「自浄作用」が働きにくい場所である。

 保護者や子どもの力が必要なのである。


 最近,小学校教育のひどさを表現力が豊かになった中学生たちから聞く機会が増えている。

 「大人のひどさ」を堂々と理路整然に訴える子どもは本当にたくましく見える。


 中学生にとって,中でも「ひどすぎる」というのが定評になっているのが小学校の「道徳」である。

 「道徳の評価」の導入によって,小学校教育はますます危機に陥るに違いない。

 文科省の人間たちもバカではないから,そういう未来には薄々気づいている。

 しかし,自分たちが責任をとらなくてすむ仕組みをつくっている。

 大学や現場からいろんな人間を寄せ集めて,「学習指導要領」を作り上げるのである。


 ある雑誌を読むと,道徳関係の記事だけ,内容の質が低くて違和感を覚える。

 良識のある人は道徳教育から手を引く準備を整えているところなのだろう。

 道徳がどうこういう前に,教師の質を向上させなければならない。

 最低でも,犯罪を起こさない教師を採用するように努力しなければならない。

 もし,学校現場が犯罪を起こす教師を作り出すシステムを持っているのであれば,

 早急に改善し,犯罪を起こすようになる教師が生まれない学校をつくらなければならない。

 
 小学校の教師を見て,「大人」を信用しない習性を身についた小学校7年生をずいぶん目にしてきたが,

 なぜそういう結果になったのかを,自らしっかり語れる人間に成長できていることを見ると,

 あながちそういう小学校教育も悪くないと思えてしまう気もしている。


 ~が悪い,と言って,自分のいたらなさから目をそむけるような人間になってはいけない。

 しかし,~が悪いのは~という理由だからだ,と語れる人間には,

 それなりの成長が見込めると判断できる。

 私たち中学校教師にできることは,

 「君もその悪い人と同じだね。」と投げかけてあげることである。

 そこで「はっ」としてくれる子どもを増やしていきたい。

 中学生1年生になれるか,小学校7年生のままでいるかどうかは,

 「自分も~と同じようにダメな人間だった」と気づけるかどうかにある。


 人間の成長をリアルの現場で目の当たりにできる教師という仕事は貴重なものである。

 教育ブログが腐敗臭のする欲求不満のはけ口にすぎないものにならないように,

 ご協力を続けたい次第である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より