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何歳までをチャレンジ期間と考えるか?

 研究授業を自ら進んで引き受ける教師は,何人に1人くらいの割合だろうか。

 年齢別にみたときには,どのような数字が出てくるだろうか。

 私が耳にする話では,多くの研究会で若い先生にその役を押しつけている現状があるらしい。

 若い先生にとってはもちろんよい経験になるし,自らどんどん引き受けてもらいたいと思うが,

 いつも批判する側にまわっていて,自らの授業を見せたがらない教師はどうにかならないものか。

 

 教育ブログには,さんざん人の批判をしておきながら,

 自分の教科の授業実践にはいっさいふれない人がいる。

 部活動の指導についてはわずかに記載があっても,

 そもそも本当に教員だったのかどうかも疑わしいほどの情報の乏しさである。

 公開授業を何本経験しているのか,などと質問しても答えは返ってこないだろう。


 若い教師が増えるようになって,今後ますます「ベテランの授業の素晴らしさ」を共有する機会が乏しくなっていく。

 できれば同じ自治体の中では,ベテランの授業公開が毎月どこかで行われるようなシステムをつくってほしい。

 そして,ベテランこそがチャレンジしてほしいと願っている。

 だれからも批判されそうもない,可もなく不可もないような授業ではなく,

 新しいことに挑戦するような意気込みをこそ,若い教師に見せてほしい。


 私自身の場合,次の実践が新しい指導要領に反映してもらえるように努力したいが,

 そのためにあえて批判されるようなしかけを考えている。

 よりよいものは,みんなでつくりあげる。

 
 社会科こそ,そのような実践が続けられるべきである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より