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教育の仕事に情熱をかたむけているのであれば

 障がい者を詰ることばかりに執着することはあるまい・・・という話ではない。


 若い人たちへの,われわれ年配教師の声は,届きにくくなっているのではないか,

 という心配というか,同情というか,無情というか,むなしさを感じ始めている。

 30代前半くらいまでは,学校で夜中の1時,2時まで次の日の授業準備をしていることもあった。

 「うちの学校には警備員は必要ありません」と本気で管理職に言おうとしていた時期もあった。

 警備員の退勤時間より長く勤務しているからである。


 いろんな原稿を頼まれている時期は,帰宅してから原稿を書くから,

 出版社に送るデータの更新日時が3時30分とかそういうものもよくあった。


 家族よりも,学校の近くに住んでいる保護者の方が,自分の帰宅時間を把握していた。・・・・


 こういう話を若い人にして,教師として尊敬される,ということはあるだろうか。

 同じような仲間たちと学習会などで集まってきた人たちは,「よくある話」「お互い様」として認識できるが,

 そこまで教育の仕事に没頭できる環境にない教師たちにとっては,

 むしろ迷惑な話ではないだろうか。

 「一緒にしないでほしい」と。


 教育という仕事への向き不向きを,「何時間でも学校にいられるかどうか」などで判断すべきだとは全く思わない。

 ただ,何時間いても苦にならないような人は,家族にとっては大迷惑(逆に喜ばれる場合もあるが・・)かもしれないが,きっと「疲れ」を感じることなく,いつも元気で子どもたちに向き合っているに違いない。

 そういうエネルギーを感じさせない人に,教師としての魅力は感じにくいといったら酷だろうか。


 私のような指導主事経験者は,こういう時間感覚を等しくもっていたと思う。10年くらい前までは。

 今ではどうだろうか。

  
 役所の事務方にとっての残業は,収入が増えるわけだから励みにもなるだろうが,指導主事には1銭もでない。

 こういう事態に不公平感をもつような人が行政に入るようになれば,ブラック鬼業脱却への一歩を踏み出せるかもしれない。

 そうでないと,嫌々長時間働いている教員たちが気の毒である。

 この「毒」は,子どもにマイナスの影響を与えるから「気の毒」なのである。


 余計なストレスを教育に情熱を感じない教師に与えるのは,子どもに悪影響を与える。


 教育に対する教師の投げやりな態度を見ると,怒りがわいてきてしまう。

 子どものことを思っているような雰囲気を装いながら,実際には責任を放棄しているに過ぎない学習形態を間近に見たときに,また改めてコメントしてみたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より