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究極のブラック鬼業

 私は教育公務員なので,「残業代」の計算方法をよく知らない。

 学校の先生には「残業代」が支払われない仕組みなので,

 年間何兆円かの予算が節約できている。

 常総市の職員の残業代がニュースとなり,話題になっているが,

 学校の先生にも,恒常的な「サービス残業」以外に,

 幾多の突発的な「残業」が襲ってくる。

 保護者の面談で夜の9時10時は当たり前である。

 「夜回り先生」などという愛称があるようだが,

 私も夜中の1時2時に深夜徘徊の生徒を指導したことがある。

 部活動の指導をすれば給料がもらえるような仕組みになってしまったら,

 それこそ教員の給与のための予算はいくらあっても足りないだろう。

 もっと酷いのは,教育委員会の事務局で働いている指導主事である。

 教員の立場として仕事をしている指導主事には,

 同じ役所で夜中の2時まで働いても,普通の事務職員には出される「残業代」は

 1銭もでない。究極のブラック鬼業である。

 もちろん省庁で働いている人もそういう面があるのかもしれないが,

 「残業代」が出ない教員が可哀想,という世論がわき起こることは決してないだろう。

 ほとんどの教員は,「残業」という概念を持たされないまま,

 ひたすら働いて,たまに問題行動の生徒の親を学校に呼ぶと,

 「会社の休みをとった分の給料を補償しろ」とすごまれる。

 「あんたの子どものために,年にわずかしかない家族と夕食をともにする時間が奪われた」とは言えない。

 というか,言わない。

 教職は「聖職」だから。

 公務員として,人に尽くしているという実感がわく・・・?


 明日返却する試験の採点に,あと4時間はかかるだろう。

 今日も睡眠時間は2時間くらいになりそうだ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より