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「おもてなし」は「しょうゆ」のようなもの~観光立国と教育立国に必要なものとは~

 わざわざ海外から日本まで来て,しょうゆを味わいに来る人はいない。

 「おもてなし」をアピールしたがる日本人に足りないものを,デービット・アトキンソンさんは

 とてもわかりやすい表現で教えてくれた(週刊東洋経済最新号より)。

 
 学校教育にあてはめてみれば,「しょうゆ」にあたるのは「道徳」になるだろうか。

 醸造業が本業であれば仕方がないが,学校教育には本物の「おかず」がたくさんある。

 
 主食の「米」は「国語」,「小麦」は「英語」にあたるだろうか。

 「しょうゆ」づくりに力を入れるのもいいが,

 肝心のおかずがそろっていなければ,せっかくの「しょうゆ」も生きない。

 
 「しょうゆ顔」とはまだ生き残っている流行語で,日本人のあっさりとした顔のことらしいが,

 観光立国になるために大事なのは,「平凡であること」ではない。

 
 「マヨネーズ顔」や「バター顔」,「ソース顔」,「唐辛子顔」などいろんな「顔」があっていい。

 「昔の教師は,本当に個性豊かだった」というため息を聞いたことがある人はどのくらいいるだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より