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2020年 大混乱する大学受験!~本当に必要で簡単にできる改革とは何か~

 2020年の大学入試改革を前に,さまざまな憶測が飛び交っていたり,

 公開された情報とたわいもない本の内容を丸写しだけしただけの出版物が

 登場したりしていますが,入試制度の設計ほど難しいものはないのです。

 20年前の中教審答申を受けて,高校などの入試制度はいじられ続けてきましたが,

 ほとんどは「失敗」に終わっています。

 「ゆとり」をねらうと「競争」が激化する。

 これ以上の「失敗」はありません。

 中高一貫校などは,当初のねらいとは全く逆で,予備校もどきの「進学校」になってしまっている。

 「公平性」だけでなく「公正さ」も担保できない入学選抜になってしまったという失敗は,

 目標に準拠した評価が導入されたことも原因の一つになっています。

 この評価が行われるためには,指導が適正に行われる必要があるはずですが,

 テストの点数がとれるように努力する,というただそれだけの指導ばかり。

 『学び合い』も同じです。肩を寄せ合って,教科書レベルの問題が解けるようにするという「協働作業」を行うだけ。まるで共産主義の理想を実現するための教育です。組合活動がせっかく下火になってきたのに,最も怖れていた子どもへの直接的な「攻撃」が始まってしまっている。

 『学び合い』の授業では,教師は観点別学習状況の評価などできません。

 自分の成績が他の学校の生徒と同じ基準でつけられていると実感をもっている生徒などいないでしょう。


 高校在学中に一律の学力検査を受けさせられて,学校別の成績が公開されたら,

 どういうことになるか,想像できますか。

 国立大学の入試のような記述式の問題を出して,

 本当に「書ける」レベルの受験生が集まる大学はどれほどあるでしょう。

 適正な選抜になると言えるような問題をつくるのは難しいし,

 そもそも同一の基準で不公平やミスなく採点しチェックするのに,

 どれだけの人と時間を要するか,私立大学の人には想像できないでしょう。

 マークシート方式のテストだってあれだけ大がかりのものなのに,

 それを変えよう,というのはよほど現場を分かっていない人間の発想です。


 実現不可能な選抜よりも,教育の内容を改革すべきなのに,

 新しいことをやるとたいていは失敗に終わるので,

 そこには手をつけられないのです。


 「記述」から「短い言葉での解答」にトーンダウンしたのもかなり前のことになりますか。

 「短い言葉での解答」では,「一問一答」と大差ありません。

 
 本当に長い時間を書けて,入学希望者の実力を測定する意味がどれだけあるのか,

 という問いも必要です。

 
 最も簡単な改革の方法は,

 「簡単に卒業させない」・・・・それに尽きます。

 
 本の丸写しのレポートを出して単位を取り,卒業できるような仕組みをなくすことの方が,

 何万倍も大切な「改革」のはずでしょう。


 大学の入口は緩くして,出口を思いきっり厳しくする。

 そのためには,大学の研究部門と教育部門を明確に分けていくことも,

 改革の方法の1つかもしれません。

 大学生が相手だと言っても,教え方を知らない人に,教育はできないのです。

 「アクティブ・ラーニング」で成果を出さなければならないのは,

 大学ですよ。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より