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学校に通いたくない先生たち

 人間として打たれ強くない人が教師になり,経験の浅さゆえの挫折を味わったとき,

 だれが支えとなりうるのか。

 家族か。同僚か。上司(管理職)か。教育委員会事務局の先生(指導主事)か。

 一般的な教師なら,子どもの存在自体が支えとなる。

 「そこに山があるから登る」というのと同じ理屈(?)で,

 「そこに子どもがいるから,教師としてかかわりをもつ」というのが教育の世界である。


 若い教師は「教育界」にどれくらいのネットワークをもっているのだろう。

 相談ごとがあるときに,意見を求めることができる人を「教育界」にどれくらいもっているのだろう。

 どの教師も,「初任者研修」は自治体ごとにある程度まとまった人数で参加し,

 グループでの研究・研修も多い(宿泊研修もある)から,

 ここで知り合いを増やす機会がある。

 他校の教師と知り合いになる機会は,

 部活動の顧問になれば,練習試合や大会,顧問会などでの出会いもある。

 「心の問題」での休職は,ベテランでも起こる得るものだが,

 若い世代の離脱が目立つ自治体もあるようだ。
 
 私は以前から,小規模校のデメリットを訴え続けているが,

 学校の中で話し相手がいない教師のなかには,

 表面張力でもっていたコップの水が,たった1滴でこぼれ出してしまうような

 ぎりぎりのところで我慢している人も多いのだろう。

 「なんでこんなことで」と思われるようなきっかけで学校に来なくなるケースもあるだろうが,

 「こんなこと」は最後の1滴にすぎないのかもしれないという想像力をもっておいてほしい。


 たった一言が,中学生の心に深い傷を残してしまうようなこともある。

 今の時代は,この「中学生」の部分に,「教員」もあてはめて想定しておかなければならなくなっている。

 最もこたえてしまうのは,中学生の教員に対する評価の言葉かもしれない。

 「あの先生,たよりない」

 「あの先生は教え方が下手だ」

 「あの先生は問題のある生徒の前で堂々としていられない」

 「あの先生はすぐ逃げる」

 厳しい評価言である。

 こういう言葉を管理職が耳にして,教師にプレッシャーをかけたら,即,パワハラという時代なのだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より