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教育界にも新元素発見への希望を

 科学の世界での面目躍如といったところだろうか。

 理研が113番元素の合成に成功している。

 この成功のために,累積してどれくらいの予算が割かれたのだろう。

 大学でも理系は授業料が高いが,実験にかかる費用が膨大であることはわからないでもない。

 ただ,学校の教師で実験の指導ができない人がいる。

 このギャップはどう埋められるのだろうか。

 ある教職大学院の教師は,「実験指導など必要ない」と言っているそうだが,嘘だと信じたい。

 よく耳にするところだが,一般の大学でも教職に必要な単位が取得できるものの,

 もともと教員を養成するために行われている授業ではないために,

 教員になっても何の役にも立たないという結果になっている。

 私が大学で学んだ内容は,高校の授業ですら扱わないものであった。
 
 一般の大学に限らず,教員養成系の大学ですら,

 「教員を養成しよう」という意識の乏しい教授やら何やらが多いようである。

 だからこそ,実際の教育現場では役に立たないことばかり研究していたり,

 短期間に現場にクビを突っ込んで,かき回して去っていくという教職大学院が出現したり,

 教職大学院で学んだのに現場で全く使えないままである教師が増えたり,

 教育の世界で起こっていることと,
 
 「新元素の発見」などに莫大な予算を割いて研究している世界の動きは,

 まさに雲泥の差が開いている。

 予算を割くだけが方法ではない。

 人材の確保こそが教育現場には欠かせない。

 まもなく,次期学習指導要領の内容の検討が始まる。

 ほとんど事務方の仕事に過ぎない内容ではあるが,

 教職大学院の教師たちが自信をもって育てた最優秀の教え子だけを集めて,

 次期学習指導要領の編集にかかわらせてみてはどうだろうか。

 条件は,「最優秀の教え子」を出すことである。

 どんな発言をその会議で残せるかによって,教職大学院の教師たちの力量がわかり,

 予算配分をするための重要な材料にもなる。

 教職大学院の教師の品質がそれでわかる。

 教育界の「新元素」とは,優秀な教師の卵に他ならない。

 現職の教員が大学院に学んで,「新元素」に生まれ変われるかどうかも検証できる。

 「第18族元素」だけは,現場に戻ってもどうにもならないである。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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