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教育を「学校」という枠内からでしか見ることができない人たち

 親の年収によって子どもの学力が左右されているという実態は,

 学校教育の善し悪しにあるとは限らない。

 塾に通っている,通っていないの違いとも限らない。

 何が子どもの才能を開花させるのか。

 私が決して軽視できないと感じているのは,

 小さいときの「遊び」の質である。

 質の高い「遊び」を経験させるには,それなりの経済的・精神的なゆとりが必要かもしれない。

 経済的なゆとりというのは,たとえば年収1000万円以上とか,

 そういう話ではなく,子どもにお金をつかっていこうとする親の意思によって左右される。

 「そんなこと,学校教育に求めるつもりはない」

 と思われることが,次々に学校に入り込んでいないか,チェックすることが必要だろう。

 子育てをしたことがない人には想像しにくいことかもしれないが,

 子どもが成長のための糧を手に入れる場は,学校だけとは限らない。

 自分の子ども時代を想像してみるだけでもわかるかもしれない。

 「本当に,学校はどんな力を自分に身につけさせてくれたのか」と自問してみる。

 協調性,粘り強さ,あきらめない精神,規範意識・・・・さまざまあるだろうが,

 各教科の果たしている役割を根本的なところから分析する時期に来ているのかもしれない。

 家庭でできることに関しては,学校は手出しをしない。

 家庭でできることかどうかを親が判断して,学校でしてくれることを望むカリキュラムがあるところを選ぶ。

 そういう仕組みが必要になる時期がくるかもしれない。

 「こういうことをしてくれるのなら,やはり通わせたい」と親に思わせてくれるような学校づくりができるのはどこだろう。

 「昔あったのだから,今も残しておくべきだ」という発想は,

 そもそもの日本文化の根底にある考え方でもあり,これを捨て去るには相当の勇気がいるだろう。

 しかし,教育の面に限って言えば,このままでは学校は「パンク」する。

 機能不全に陥ることで,ますます魅力も成果も霞んでいく,そんな未来の学校は見たくない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より