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○○教育の限界と「当たり前」の教育の可能性

 道徳教育についても言えることだが,

 新しく登場する○○教育は,実践していると

 「空しさ」を感じることが多い。

 ○○の能力を高めることがねらいの教育だが,

 全員を対象とした一斉授業のかたちでは,

 能力がもともとある生徒がより能力を高め,

 能力に課題がある生徒に成果が表れない・・・・

 聞いてほしい生徒には届かない・・・・

 という「格差拡大」の機会となってしまうことが多い。

 よく「どのような子どものレベルに合わせて授業を設計しますか」

 と聞かれることがあるが,一斉授業でも,さまざまな子どもの

 レベルに合った学習活動の場面があるものである。

 それでも,格差が開くことは避けられない現実がある。

 その解決策とは何だろうか。


 格差の開きが著しい学校と,そうでない学校との比較をしてみると,

 「当たり前」の教育・・・子どもの日直や清掃活動をはじめとした・・・

 が実現しているところでは,その格差の開きもやや抑えられているはずである。


 どの学校にとっても大切なことは「当たり前」のことが

 「当たり前」にできるようにする教育であることは間違いないだろう。
 
 しかし,教科の指導で「当たり前」であるはずのこと・・・・たとえば,

 学習指導要領に示された目標を実現するために,

 内容を精選したり,方法に工夫を加えたりする工夫がなされているかというと,

 単に教科書の内容を「教え合ったりする」学習が行われているだけであったりと,

 非常に疑わしい面もある。


 ○○教育については,総合的な学習の時間を使って行われるのが一般的であろうから,

 そこに「本来のねらい」を達成させるためのヒントがあるはずである。

 生徒は,自らの興味・関心に応じて課題を設定して追究し,レポートにまとめたり,発表したりする。

 
 この「発表場面」こそ,課題を抱える一人一人の能力を最大限に高める機会であるという認識をもっている学校はどのくらいあるだろうか。

 
 薬物乱用防止のための教育の必要性がすぐに叫ばれるだろう。

 道徳の授業で,表面的に全体に「お話をする」「講話をしてもらう」だけでは,

 期待する効果は得られない可能性が高い。


 ただ言えることは,「薬物乱用のための教育はしました」という言い訳ができることだけである。

 防災教育・・・避難訓練も同じ。

 いざというとき,役に立たなければ意味がない。

 
 特別なことは何もしていないが,当たり前のことが当たり目にできている学校と,

 ○○教育をやっていることになっているが,当たり前のことができていない学校を比べて,

 いざというときに困らないのはどちらであるか,説明するまでもないだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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