ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« ペーパーテストの機能を軽視することによる学力低下問題 | トップページ | 教育を「学校」という枠内からでしか見ることができない人たち »

YDKという信念

 どんな親でも,ある時期までは子どもの成長に期待をかける。

 小学校段階では不明だった学力のレベルも,

 中学校・高校段階だと非情にも思い知らされることになるが,

 「やれば(もっと)できる子」という信念を親は捨てることが難しい。

 塾に行かなければ勉強に進んで取り組まない,という親の悩みを解消してくれるのは塾ではない。

 塾に通わずとも自らしっかり勉強に取り組める方法を教えてくれる塾の経営は成り立たない。

 どんな教育を工夫しても,残念ながら,最後は塾頼みという痛い現実を,「ご本尊」も語っていらっしゃる。

 根拠のない自信を抱ける人間は強いというが,

 それを砕いてあげるのが教師の役割だと思う人は少数派だろう。

 YDKであふれる世の中が変えてしまう将来とは何だろう。

 壁を乗り越える経験をさせるには,壁に直面させなければならない。

 自ら壁に向かって歩ける子どもを育ててくれる学校を,親は選ぶだろうか。

 整理されないまま,次々に疑問が積もっていく。

 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« ペーパーテストの機能を軽視することによる学力低下問題 | トップページ | 教育を「学校」という枠内からでしか見ることができない人たち »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

アクティブ・ラーニング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: YDKという信念:

« ペーパーテストの機能を軽視することによる学力低下問題 | トップページ | 教育を「学校」という枠内からでしか見ることができない人たち »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より