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教員免許更新講習~参加するに値する講座づくりをめざして

 お金を払って参加する教員免許更新講習。

 費用に見合うものを得られた実感があったかどうか。

 何を学べたか。受講者からは必ずアンケートをとるようになっている。

 おおむね「ためになった」ことを書いてくれるものばかりだが,

 中には「イヤイヤ来た」ことがバレバレの人もいる。

 「学ぶ姿勢を教える人間こそ教師」なんていう攻撃も,

 気の毒になるような講習も中にはあるのだろう。


 今週末,講習のための授業がある。

 以前に長期研修で研究に参加してくださった先生が,

 またおいでくださることがわかった。

 直線距離でも500㎞以上離れた地域からご参加いただく。

 ありがたいとしか言いようがない。

 
 準備のために今週は久しぶりに頭を使って,

 昨日決めた教材で授業を行うことにした。

 「私ならこうはやらない」という手法をあえてとって,

 ご批判をいただく覚悟で臨む授業である。

 教師は授業に命を賭けている。

 
 字が違うとかいう問題ではない。

 子どもたちの可能性に駆けている。


 臨場感と一体感をめざした授業は,生活指導の一環でもあるが,

 知的好奇心を最大限に刺激したい。

 そんな気持ちで指導案の仕上げにとりかかっている。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より