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パラ休日を実現させるには

 読売新聞から配信されたニュースによれば,日本パラリンピック委員会の会長は,2020年東京パラリンピックへの若い世代の参加意識を盛り上げるために,開催期間中は全国の小中学校を休日にすることを提案したそうだ。

 東京パラリンピックの期間は8月25日から9月6日までである。

 夏休みを1週間短縮している自治体もある中で,逆に1週間伸ばそうというのだが,

 とすると夏休みは8月上旬から始めなければならないことになる。

 そもそも「休日」などない日々を送っている中学生や部活動の顧問からすれば,

 「学校に休日など必要ない」と叫んでしまいそうな暴論だが,

 逆に「部活動の試合がたくさんできる」と喜んでしまう人がいるかもしれない。

 「秋季大会が9月の上旬にできてしまう」という考え方もある。


 学校週5日制にしたところで,結局土曜日は本来願ったかたちでは過ごされなかった。

 仮にパラリンピック中,小中学生をボランティア活動に参加させようとしても,

 「数が多すぎる」という問題に直面するだろう。

 
 体験活動などを学校は用意したいが,すべての学校が休みになれば,

 施設も場所も足りなくなる。

 
 そもそもオリ・パラともに,猛暑のなか,死を覚悟で行う競技が続出するだろうから,

 子どもも「被害者」になりかねない。

 
 平日に子どもが学校に休みになったときの,親のたいへんさを会長さんは知らないのだろう。

 「交通の混雑の解消」という目的もよくわからない。

 通学の子どもが邪魔ということか?


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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