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5W1Hは順序も大事

 読書編で紹介した堀裕嗣さんの本の第1講は,

 「HOW」から「WHY」への転換というタイトルがついていたが,

 誤解のないように紹介するには,「HOW」の前に「WHY」がなければならない,

 という趣旨の警句として理解すべきであると言うべきかもしれない。

 もっと言うなら,「5W1H」の順を大切にしよう,という話になる。

 「5W1H」は事件を報道する新聞記者や聞き取りをする警察官の専売特許ではなく,

 教師たちも日常の業務で確認しておくべきポイントである。

 まず,「いつ」やるのか。ここから「どのように」に進むことは可能である。

 「どこで」やるのか。やはり,ここから「どのように」へと進めることもできる。

 「だれが」やるのか。

 「何を」やるのか。

 「なぜ」やるのか。

 最後が「どのように」になっていることは,とても大切である。

 歴史学習の大観をどのようにやったらいいかわからない。

 そう困る前に,「なぜ」歴史の大観をするのか,その必要があるのかを知ることが大切である。

 大観とは,歴史の何を考えることなのか。何のためなのか。

 それがわからずに「どのように」も何もない。

 
 「学習指導要領にやれと書いてあるから」ではお話にならない。

 学習指導要領の解説を実際に読んでいれば,そういう答えにはならないはずである。

 
 子どもはどうやって叱ったらいいのだろう。

 その前に,子どもを叱るのは何のためなのかを考える。

 何を叱ろうとしているのかがはっきりしないまま,叱っていないだろうか。

 
 叱るべきタイミング=「いつ」を間違う人も多い。

 さすがに「場」を間違う人はいないように思えるかもしれないが,

 教師ならやりかねない。


 だれが叱るのがベストだろう。

 そういう発想をするチャンスを与えてくれるのが,


 「5W1H」というフレーズである。

 単に疑問詞をひとまとめにしているだけではない。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より