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非常勤講師に「研修」を機会を与えないのは,子どもたちからよりよい教育を受ける権利を奪うことに等しい行政の怠慢である

 公立の小中学校は,少子化の影響で小規模化が進んでいる。

 少子化のペースに合わせて教員を減らしていないし,学校も十分に減らしていない。

 バスケットボールの試合をしていると,部員が5人しかない学校をちょくちょく見かけるようになった。

 もちろん大規模校でもありうる光景だが,教員は当然少ないのだから,

 (私もそうなのだが)引率の先生は運動部のかけもちをしている人かな,と思ったりもする。

 小規模校の統廃合に反対する学者は,一度そういう学校の教師をつとめてみるとよい。

 公立学校の組織というのは,大企業とは異なる。

 「町工場」にたとえるのが一番わかりやすいだろう。

 「町工場」のくせして,大企業と同じような「売上げ」を求められる。

 ちょっと違うのではないか,という話が通じる人間が行政側にいない。

 
 行政側が見て見ぬ振りをしている大きな怠慢がある。


 学校によっては,教科の専任が一人しかいない,というところがある。

 こういう学校では,非常勤講師を雇っているケースが多い。

 一人しかいない専任の教師が病休に入ってしまうと,成績の責任も授業の責任も,すべて非常勤講師が負うことになる。

 中学校の場合はもともと家庭科の専任教師がいない学校もある。

 職員会議にも出ない,研修を受ける機会もない,教員採用試験に受かっていない非常勤講師に,

 どれだけの責任を負わせることが可能だろうか。

 どれだけの期待をかけることが可能だろうか。

 親はこういう実態を,知っているのだろうか。

 都市部の小規模化校というのは,公立学校の教育が衰退していく象徴的な姿である。

 もともと極小規模のまま歴史があるへき地の学校とはわけが違う。

 非常勤講師の働きにおんぶにだっこになっている現状は,行政の怠慢としか思えない。

 「お金がないから」・・・・それが理由なら,学校を減らせばよい。

 「地域から反対されるから」・・・・それなら,「こんな学校頼むからなくしてくれ」と請願されるほどに「荒れさせる」しかないのか。

 学校の数を少なくし,規模を大きくすることが理想だが,

 まずは,非常勤講師に十分な「研修」の機会を与える・・・というより,「研修」を受けたから採用される仕組みをつくるべきである。

 昔,ある学校に出前授業をしたことがあったが,その理由が「非常勤講師の教育」であったのかもしれないことに後で気づいて愕然とした。

 専任教師に授業の工夫などを教えてもらえないのも気の毒な話である。

 ぜひ,学校説明会では,「非常勤講師の数と持ち時数」を管理職に尋ねてほしい。

 その数が多い学校は要注意である。 

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より