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ホリエモンの寿司職人観への反論

 ホリエモンの「寿司職人になるのに何年も修行するのはバカ」発言に対しては,

 反対より賛成の意見の方が多いのだろうか。
 
 ネット社会のように「お手軽さ」重視の世界では,なるほどと思ってしまうが,

 「低賃金労働の強制」という視点から見れば,悪徳業者にとっては「痛いところを突かれた」という気にもなるのだろう。

 ただ,長い年月を寿司への情熱に費やすことができる人間かどうかを見定めたい,

 という「教育者」の気持ちもわからないでもない。

 「握りはセンスが重要」というような話を読むと,それは

 野球選手にも,学校の教師にも言える話で,

 「簡単に説明して身につくものではない」ことは理解してもらえるだろう。

 「できる人は簡単にできるようになってしまう」不思議さを,「センスがある人」と表現している。

 ただ,小手先の技術は数ヶ月や1年で身につくかもしれないが,

 たとえば「3ヶ月で握り寿司がつくれるようになった天才」の寿司と,

 その道何十年というベテランがつくってくれる寿司と,

 そのベテランの技のすべてをプログラミングした機械が握った寿司のうち,

 どれが一番「味わえる」か,という話になると,

 どうだろうか。

 「ネタが命で,職人の腕は二の次」という人もいるかもしれないが,

 カウンター越しに提供される「握り」は,ただの「おいしい食べ物」ではない,と感じる人が多かったからこそ,

 今の今まで日本に寿司文化が引き継がれてきたのではないかと思ってしまう。

 以前,タッチパネルで注文できる少し高級な回転寿司に入って,珍しい握りを注文したが,

 「だれが握ってくれたのだろう」と店の中央にある厨房が気になって仕方がなかった。

 「おいしさ」「ありがたさ」を全身で面と向かって伝えたいという気持ちは,すべての人に備わった

 ものではないかもしれない。私の場合は,決してそれが若い人であっても,がっかりすることは

 ないと信じたい。

 
 1年や2年修行しても,お客さんに満足してもらえる握りがつくれない職人がいても,おかしくはないと思う。

 しかしどんな不器用な人でも,真面目な人であれば,これだけの修行をすれば一人前になれる,という期間があることは想像できる。

 スポーツ選手のように,寿命が短いものでもないだろう。


 ただ,教育の世界にも,「この人は教師に向いていないな」と思う人がいる。

 センスがないというより,子どもと上手に接することができない人には,できれば別の仕事を探してほしい。

 教員の削減に大反対する人は多いだろうが,実際に自分の学校に指導力不足教師ばかりが大量に異動してきたときのことを想像してもらいたい。
 
 大事なのは「人数」ではない,ということをわかってもらうためには,実際の現場の苦労を見ていただくしかない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より