ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「自己愛人間」と「自己愛性パーソナリティ障害」の違い | トップページ | パラ休日を実現させるには »

ICT教育に未来はあるのか?

 今週は,IT関連の方とお話する機会があって,その技術が学校現場にどのように応用できるかを検討させてもらいました。

 最終的には,教育現場は「お金がない」で話が全部ストップしてしまう無力感がやるせないところです。

 お金の使い途を決めるのはもうすぐ仕事ができなくなる人たちばかりだから,

 「未来投資」みたいな教育の世界になど,ほとんど関心がないことが残念でなりません。

 公立の小中学校などは,図書室の本すらろくに購入できないのですから,

 ICT機器をそろえたりとか,インターネットが常時使える環境づくりをするなどは,

 大きな都市では実現できません。地方都市が失敗するのを横目で見ながらアイデアが出ても簡単にスルーしていきます。

 そもそも,お金の使い途を決める人たちにICTを使いこなす能力がないわけだから,

 まともな判断力が働くとは思えません。

 ICT教育という言葉も,非常に空しく響きます。

 学校でやらなくても,家庭で使っている子どもはどんどん増えています。

 教師よりも子どもの方がリテラシーが高いものを,わざわざ時間をさいて教師が教える必要はないし,

 それこそ『学び合い』をやってくれ,という話です。

 IT企業には,利益が出ていないところもあります。

 開発費ばかりが膨大にかかっている。

 ゲームの会社が頑張っているとしても,それが本当に世の中の役に立つ意義深い仕事だと胸を張って言える人はいるのでしょうか。

 小中学生の親にとってみえば天敵のようなものです。

 ただ,ゲームはお金になる。

 教育ではお金にならない。

 いっそのこと,まるごと教育をゲームにしてみたら・・・という発想をする人が出てくるかもしれませんね。

 話がそれました。

 ICT教育には,メディアリテラシーを身につけさせる,という重要な意義もあります。

 しかし,これは保護者経由で教育させるのが一番でしょう。

 ありとあらゆる意味で,そうすべきです。

 学校の授業中は,睡眠時間。

 放課後,有名講師の話をパソコンで聞く。

 深夜過ぎまでゲームをする。

 学校の授業中は,睡眠時間。

 これで大学に入れる時代です。

 ICT教育の存在意義は何でしょう。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 「自己愛人間」と「自己愛性パーソナリティ障害」の違い | トップページ | パラ休日を実現させるには »

教育」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

ICT教育」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

グローバル人材」カテゴリの記事

アクティブ・ラーニング」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ICT教育に未来はあるのか?:

« 「自己愛人間」と「自己愛性パーソナリティ障害」の違い | トップページ | パラ休日を実現させるには »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より