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学び合いを充実させるための教材づくりの悩み方

 教材づくりでどのような「悩み方」をすると「教師らしい実感」を得ることができるのか。

 引用が長くなるが,ジョン・ハンターの『小学4年生の世界平和』(角川書店)で,教材づくりへの葛藤が描かれている部分を紹介したい。

>危機を脱する何らかの道を子供たちに残してやらねばならないぞ。わかりきったことではダメだし,何か決まった答えを見つけるのでもダメだ。生徒たちが活用できる要素がいくつかほしい・・・充分な洞察力と,抜け目なく関係を築くこと,関係構築ができれば活かせる何か・・・それでみずから危機から脱することができる道・・・それどころか自分たちの利益にすらなる方法・・・いや,ほかの人たちまでも利する方法! そう,そこが肝心だった。

 あと少しでわかりそうなタイミングで,教師が与える絶妙なヒントの感覚は,授業でなければ養えない。

 失敗したか成功したかは,生徒の反応でわかる。

>生徒たちを危機の山で圧倒する必要があることはわかっていたが,絶望の淵に沈めてしまうわけにはいかない。何か抜け道を用意しておいてやらないと・・・ただし,そう簡単ではないやつを。ゲームは絶妙なさじ加減で難しくしなければならない・・・ただし,難しすぎてもいけない。生徒たちの能力を最大限まで発揮させる必要がある・・・ただし,その上限をわずかでも超えることは決して要求できない。

 生徒の能力を信頼することが大事,なんていう話は,アメリカとの戦争を開始する前に軍の幹部が主張したこととたいした違いはないだろう。

 大事なのは,実際に生徒の能力に照らして,どの程度の難易度の教材として提示するかということである。

 難しすぎることに問題があるのはだれが考えてもわかるが,易しすぎても生徒は意欲をなくすおそれがある。

 体の柔軟性を増したり,筋肉を鍛えたりすることと,頭の柔軟性や思考力を向上させる方法には似ている点があるだろう。

 「ちょうどよい負荷をかけること」が大事なのである。

 問題は,能力にかなりのばらつきがある集団で,本当にすべての生徒の能力を高められるのか,という点にある。

 教壇に立ったことがある人でなくても気づくことだろうが,ある生徒にとって難しいことでも,それより能力の高い生徒にとっては易しいこととなってしまうのではないか。

 もちろんその通りである。

 だから,授業では一度にすべての生徒にとっての「適切な難易度の課題」は出しにくい。

 1時間の授業内で,あるいは数時間の単元の中で,その難易度にバリエーションをつけなければならない。

 いつも易→難というパターンではなく,ときには難→易へと難易度を下げて,生徒を安心させる配慮もすべきである。

 最初に難しいところから入る場合には,できるだけ好奇心をもたせる工夫も必要になる。

 こういう授業をつくる苦労を,できれば教育実習期間に経験してほしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より