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「子育ての成功」とは何か

 「子育て」に悩んでいる親は少なくない。
 
 私のように「子育て」に悩もうとしていない親も,少なくない。

 どちらかというと,「子育て」に悩んでいる親の方が素晴らしいと思う。
 
 教師になって,「教育」の諸問題に悩んだ経験がない人はいないだろう。

 もし悩んだ経験がないという人がいたら,その人の仕事ぶりを見てみたい。

 人を思いきり悩ませるわりに,自分は全く悩まないという困った人は教師にもいるかもしれない。

 さて,「子育て」に悩むといったとき,そもそも「子育て」は何をどうしたらいいのかわからない,

 という人もいるだろうが,

 「言うことをきかない」

 「勉強しない」

 「勉強ができない」

 「片づけができない」

 「夜更かしして寝ない」

 など,現実的な問題に直面している親が多いはずである。

 ただ,「それは子育てという親としての役割を果たしていないせいなのか」という自問を経た上での悩みなのかどうかは確認してみてほしい。

 ある小学校では,子どもの基礎学力の定着に関する努力を完全に放棄し,

 「親の役割だ」というスタンスをとっている。

 こういう小学校に子どもを通わせていた親の中に,

 「私のせいで子どもが勉強できないでいる」という悩みを抱えてしまう人がいる。

 親のイライラは,子どもによい影響を与えない。

 子どももイライラし,学校では保健室に行ってばかりという悪循環に陥る。

 一方で,完全に放任し,気楽なままでいる親(「悩む」という選択肢をとらない親)もいるが,

 こっちの子どもの方がよほど勉強ができるようになったりもする。

 もちろん,全くできないまま終わる子どももいるから,「必ずこうなる」と誤解されるのは困る。

 そもそも「子育て」とは何なのだろう,子どもが何歳になるまで「子育て」が続くのだろう。

 子どもが教師=社会人になっても,欠勤の連絡を親が入れるというあきれた話も耳にするが,

 これこそが「子育ての失敗」の典型例だろう。

 「子育て」に悩み,自分が何かをしている,子どもに何かを言っている,

 そのこと自体が「子育ての失敗」と言えるような例もあるだろう。

 「悩んでいる状態」こそが失敗している状況になっているケースである。

 しっかりとした衣食住をととのえてこその「子育て」である。

 「心のよりどころとなる場所」としての家庭を築くことは,「子育て」の基本ではないか。

 おそらく今日も,何人もの子どもたちが「家に帰りたくない」と思っているだろう。

 子ども時代にそうやって育ってきた親たちができることは何だろう。

 「子育ての成功」とは何か。何がどのようになっている状態が理想なのか。

 自分ならできることはどこまでか。

 できないことは何か。

 できないことで悩んでいても仕方がない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より