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日本社会に備わっている道徳性を育む文化への信頼

 子どもたちが自らの道徳性を高めようとする気持ちになるためには,何が必要だろうか。

 どのような経験が効果的になるだろうか。

 これまでの「道徳」教育の最大の問題点は,

 「その道徳的価値を今ここで考えることの必然性や妥当性」を子どもが認識しにくいことにあった。

 おそらく,「道徳科」になってもその問題は解消されないだろう。

 22の項目に向き合うための心の準備の時間が足りないのである。

 道徳的価値に向き合うための準備ができあがる場として多くの人が想像できる例がある。

 その一つが「組体操」である。

 なぜ危険な取組みなのに,学校は実践を続けるのか。

 それは子どもが道徳的価値に直接的に向き合うことが可能になるチャレンジだからである。

 道徳的価値を学ぶのに十分な準備ができていない状態で授業を行うと効果に乏しいことを多くの教師は知っている。

 たとえ,「考える道徳」になったとしても,「考えるための材料」がなければ役に立たない。

 どの引き出しをあけてもからっぽだらけでは,出てくるのは思いつきの言葉だけである。

 言葉だけが無意味に飛び交う道徳の授業を受けた経験はないだろうか。

 もし,道徳の時間を廃止して,特別活動の時間を増やしたら,どのような教育を学校はできるだろうか。

 日本には,「道徳の授業をせずにどれだけ道徳教育を充実できるか」という研究ができるところはほとんどないが,「教育特区」ではチャレンジしてみてもらいたい。

 そして,そもそも日本社会には,人間の道徳性を育む文化があり,そこに包まれている間は安心だという信頼感をもてるような国を目指したい。

 これからの学校は,子どもにもっと社会にふれされる場をたくさん設けるべきである。

 
 新しい道徳科の授業案を,各企業に提案してもらう機会をつくってほしい。

 テレビのCFを道徳の授業で使ったことがあったが,働く人たちの現場からの声を聞ける機会を子どもに提供してあげたい。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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