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教育に情熱をささげられなかった人たちの「退職後」

 教師に対する最も厳しい評価の目をもっているのは子どもたちである。

 日本には「目上の人たちには有無を言わさず敬意を払うことを強いる」文化があるが,

 心の中では何を思っても自由である。

 だからこそ,かつての教え子と再会としたときの「ぶっちゃけトーク」を教師は大事にしておきたい。

 まだ退職まで間がある教師なら,自分の成長を30歳も年齢の開きのある教え子たちとの会話で確認することができるだろう。

 
 退職を迎えて,過去に自分に影響を与えてくれた恩師を思い出して,

 「恩師を超えることができた」などと思うことは不遜な態度と見なされる。

 ただそのような傲慢な人間でも,教育に対する情熱をもっており,退職後もその情熱を失わないのであれば,

 学校で今,どのようなことが課題になっているのか,

 子どもを取り巻く環境はどうなっているのか,

 スマホが子どもをどのように変えているのか,

 などといったことに興味なり関心なりがあることだろう。

 恩師の時代と今とでは,子どもを取り巻く環境が大きく変化しており,

 教師の役割は肥大化している。

 しかし変わらないのは,人間が人間に自分が学んだことを教えて伝えていくという基本スタイルである。

 誤った『学び合い』の実践が拡大しているようだが,それは大学教育の質の劣化が招いた当然の結果だろう。

 そもそも自ら学ぶ意欲のない大学生が,教育実習が始まってから3週間たって「勉強の意味がわかった」などという感想を残すような大学に,教員養成の期待などかけられない。採用試験には決して間に合わないだろう。

 子どもの質問に正面から向き合えない大学生を見て,教員に採用しようとする愚かな人間は幸いにも行政にはいないので助かっている。

 話がそれてしまった。


 退職金がもらえなかったり,年金や退職金だけでは老後の生活が不安だという人が,

 金儲けのことを考えること自体は,

 「1億総活躍社会」では「求められる高齢者像」にあたるのかもしれない。
 
 趣味で生きていくにもお金がかかるものである。


 私が知る限り,教育への情熱を失っていない人,

 しっかりとした信頼なり実績を残した人というのは,

 やはり教育の世界に根をはって生活されている。

 大学の教師になる人,教育委員会の事務局に残る人,地域の学校でボランティアをしている人などなど・・・・。

 
 孫を進学校に入れたくて子や孫の尻をたたいているじーじやばーばも増えているようだが,

 教育の世界で本当に充実した仕事を終えて,さらに充実した退職後の生活を本物の「教育」を通して実現する人というのは一握りだけかもしれない。


 手当たり次第に毒をはきまくって,過去のろくでもない思い出話ばかりしているようでは,

 教育の仕事への魅力が失われるばかりである。

 
 本当に幸せな教師生活が送れていたと思えるような文章を残していただくことを,

 「元教師」の方々にはぜひともお願いしたい。


 見苦しい醜態を退職後もさらし続けないでいただきたい。

 現役の教師は,やはり現場にいるうちに,自分の「真価」を発揮すべきである。

 その「真価」には,「あとを引き継ぐ教師たちの教育」という側面があることも,決して忘れてはならない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より