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なぜ学校は「やめる」決断を下せないのか

 教育に限らず,人間の生活というものは,それまで当たり前だったものにあまり疑問を感じずに,繰り返していくという性質をもっている。

 人間は「習慣の奴隷」という言い方があるが,無理矢理やらされているというよりは,

 むしろ進んで過去の通りに行動しようとする傾向がある。

 組体操でのタワーは,運動会最大の「見せ場」である。

 これを廃止しようという声がたとえ内部から起こっても,なかなか「廃止」を決断できないでいるのは,

 意思の弱さの証明でもあり,逆に強さの証明にもなる。

 「困難に打ちかつ」「成功をみんなで勝ち取る」までの努力と,達成できたときの充実感,達成感の大きさが教育上はかりしれないくらいの意義をもっていることを教師たちは知っている。

 学習指導要領に載っているとか載っていないの問題ではない。

 教育効果が高いか低いかと言われれば,高いのである。

 ただし,危険を伴うわけで,「ハイリスク・ハイリターン」の教育の典型である。

 「大けがしたらどうする」という声は,「させないように努力する」という声でかき消されていく。

 「かわりに何をするのか」という「攻撃」をかわすには,それ以上の「代案」が必要であるが,なかなかいいアイデアは浮かばない。

 伝統の上に乗っかっていることが楽でよいのだ。

 しかし「歴史」はあまりそういう趣旨で「利用」してほしくはない。

 本当の「伝統」は常に進化しているからこそ存続している,という実感をもてている人は一部だろうから,

 そこは地道な「啓発活動」が大切である。

 「全員参加」にこだわることはやめる。

 鍛え抜かれたメンバーで,怪我のリスクを最小化して臨む。

 選抜されなかった生徒も,気持ちを一つにして応援する。

 そういう学校もたくさんあるはずである。

 安易に「安全重視」に走ると,運動会には「かけっこ」だけになってしまう。

 「安全重視」と「安全軽視」の間が,日本の場合,スカスカであるのが問題なのだろう。

 「危険が全くない安全」などあり得ない。

 「安全はコントロールするもの」という意識がほしい。

 「安全」を「平和」におきかえても同じような気がするが,長くなりそうなのでやめておく。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より