『学び合い』批判を読むとわかる教育観と指導力
『学び合い』に対する批判を読むと,その人の教育観なり学習観,結果的には指導力まで見えてしまう。
一番醜いのは,「先生は生徒より優れている(べきだ)」という奢りや,
「先生は生徒より優れていなければならない」という焦りである。
私が『学び合い』の批判をしたきっかけは,ある指導案にあった。
先生が課題を与える。
教卓に指導書の該当ページを広げておいておく。
グループごとに課題の「答え」を考え,わかる人がわからない人に教える。
だれもわかる人がいなければ,教卓の指導書を見に来てよい。
答え合わせ。終わり。
これでは教師は必要ない。
生徒にとって,切り札は教師用の「指導書」である(さすがに教師もそのレベルでは悲しい)。
このような実践例が紹介されてしまうような『学び合い』だから,
あわてて批判したり非難したりする人が出てくる。
「こんな指導案を教育実習生がつくってきたら,どうする?」
なんていう「恐怖心」も芽生えてしまう。
もちろん,すべての時間ではなく,最初の授業で実践してみる価値はある。
どの生徒がどの程度の知識を持ち,説明する力,発表する力,聞いて理解する力があるかを観察することができるからである。
教師の話は聞かないような生徒でも,本当にやる気がない生徒以外は,とりあえず参加していることに気づけば,「教師が生徒よりもたくさんものを知っていること」が決定的に大事なものではないことが肌でわかるようになる効果がある。
教師は生徒の能力を「引き出す」ことが仕事であり,
自分の能力の高さを「ひけらかす」ことが仕事ではない。
ただし,教師は生徒の能力を「高める」ことも仕事である。
そこで問われているのが,教師の「指導力」である。
一斉授業でも,すべての生徒が教師の話に引き込まれ,複雑な関係性をもつことがらについても理解できるようになるには,教師がわかりやすく図で示しながら説明したり,例を挙げてわかりやすくしたり,アナロジー思考を生徒に促したり,生徒なりの意見が出せる場面を用意したり,異なる考えの良さを発見させたり,新たな課題を発見させたりする指導ができているからである。
こうした「指導力」を生徒に要求することはできないから,先生の存在意義があると言えるのである。
生徒より楽器が上手に弾ける?当たり前である。
でもすべての音楽教師がヴァイオリンを演奏できるか? 琴や尺八はどうか?
50歳を超えてどの生徒により速く走れる先生はどのくらいいるだろう。
自然の素晴らしさ,集団で協力し合うことの素晴らしさに感動できる人はどのくらいいるだろう。
元野球選手でも,サッカーの基礎技術を育てるのが「先生」の仕事である。
サッカーの上手な生徒を先生役にしたり,あるいはモデルにして先生が動きの解説ができるようにする場面を教師はつくるから,「自分自身の技術が高度である」というのは理想ではあるが現実的には不可能である。
自分の技術をひけらかすよりも,むしろ生徒の良さに目を向けて,生徒が主役になるような授業場面をつくることで,子どもはやる気を出したり,達成できそうな近くて小さめな目標を少しずつクリアし,やがて大きな目標を達成できるようになるのである。
生徒の「目標達成のプロセス」を目の当たりにできる教師は,経験年数を重ねるほど「よりよい指導計画」を作成できる主体となる。
子どもの能力に高い期待を寄せ,「やらせてみる」機会を増やすことは正しいが,それだけが「指導」ではないことは明らかであり,子どもから子どもへの「指導」に対する「指導」を忘れてはならないのである。
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