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小中学校における児童虐待

 児童相談所への相談件数が増加の一途をたどっているという。

 児童虐待の定義の範囲が広まったことが背景にあるというが,

 増加の一途をたどる「相談」自体も,実は氷山の一角にすぎないであろうと多くの教師は感じているだろう。

 「学校は閉ざされている」と批判されている。

 しかし,「閉ざしていて当然の家庭」の実態がつかめない学校の教師が,

 確かな情報をつかみ,子どもを理解することは難しい。

 学校の中には,今や教育機関というより,福祉施設のような様相を呈しているところがある。

 施設内でも虐待が起こることがあるが,情報が外にもれにくいのは,
  
 子どもが幼く,「閉ざされた空間」になりがちな小学校の「学級王国」である。

 児童虐待にはネグレクトも含まれる。

 指導に従わない児童を放置している学級があるが,これはネグレクトに近い。

 担任教師による「言葉の暴力」といわれる精神的虐待も,接している時間が長い小学校で起こりやすい。

 中学校では,入学当初から教師不信の塊のような子どもを見ることがあるが,

 子どもの視野を広げてあげるには,さまざまなエピソードを語ってあげることに限る。

 「まだ自分はましだった」と思わせることができるようなエピソードが豊富に聞ける立場にあるということは,

 指導上有効的であるとは言っても,決して幸せな気持ちがすることではない。

 学級を留守にすることが多い小学校の担任教師の姿を想像することができる人はいるだろうか。

 「ネグレクト教師」は「(遊んでばかりで)楽しかった小学校生活」を演出してくれたが,

 そのおかげで深刻となった学力不信をとりかえすのは,なかなか困難なものである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より