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アクティブ・ラーニングで失敗が目に見えていること

 アクティブ・ラーニングの定義を勝手にしている先生のブログを読んで,なぜこの人たちの手法で教育をすると失敗するのか,よくわかりました。

 このブログには,アクティブ・ラーニングに批判的な目を向けている人がよく訪問されます(検索語キーワードでわかります)。いいことしか言わない人間を信用していれば,たいへんなことになるという「本能」をお持ちの方は,「失敗」を最小限にくいとめることができますし,「失敗」しても「アクティブ・ラーニング」のせいにしなくてすむでしょう。

 アクティブ・ラーニングは,そう簡単には成果が出ない。

 出たように見えるのは,ごく一部のことがらだけです。

 ただでさえ過密なカリキュラムを,アクティブ・ラーニングの手法で行うと,「大きな空洞」がたくさんできてしまいます。

 もちろん,従来型の手法をとっても,「空洞に何も埋まらない」子どももいます。

 だからこそ,アクティブ・ラーニングに切り換えようとするのですが,能動的な学修ですから,学習成果は,あくまでも学修者の「姿勢」次第なのです。

 そもそも決まった時間に無理矢理学習を打ち切られるような学校で,真の能動的な学びなどできるでしょうか。

 あと10分,授業を延ばしてみよう,などという方法は,小学校でなら可能でしょうが・・・・。

 たとえ一斉授業でも,受け手の姿勢次第で,いくらでもアクティブになるのです。

 かつて,私語が大問題だった大学の授業を思い起こして下さい。みんなアクティブです。

 教師の話など,一切聞いていない。でも,アクティブに学んでいる学生はいくらでもいたのです。

 力をつけるのは,人によっては1時間ですむかもしれませんが,100時間でもたりない子どももいます。

 しかし,その100時間が強制のものでなく,自発的なものであったら,だれも邪魔はできません。

 それなのに学校は,そういう生徒の邪魔をしなければいけないカリキュラムを組んでいるのです。

 これほど簡単なことなのに,「何だかよさそう」なんて感覚で「アクティブ・ラーニング」に近づこうとしている人は,

 まず自分自身が本当の意味でアクティブなのか,考えてみると良いでしょう。

 本で読んで,何だかよさそうって・・・これ,「能動的な学び」ですか?

 まずは,自分が少しでもまともな授業を実践して,多くの「問題」を実感してからでも遅くはありません。

 自分自身がアクティブ・ラーニングをできていないのに,それを子どもたちだけに強いるのは罪です。

 繰り返します。アクティブ・ラーニングで身につけようとしている力(この場合,普通の授業で身につけようとしている力と同義ですが)は,それほど簡単につく力ではありません。

 しかし,すぐに力をつけられなくても,「こうやって考える習慣をつけていこう」という意識ができていれば,

 10年後か20年後に花が開くかもしれません。

 学校では失敗しても,将来には生きるかもしれない,という淡い期待を抱かせてくれる(もちろん幻想に過ぎないかもしれない)のが,アクティブ・ラーニングの魔力です。

 そういう「かもしれない」ものに時間を使うと,多くの人には,「時間の無駄遣い」に見えます。

 昔の「ゆとりの時間」の感覚がフラッシュバックしてくる人も多いかも知れません。

 たった50分の授業でも,頭からすべての汗が流れきったような感覚に襲われる学びは教材次第でいくらでもできます。

 残念ながら理科という教科は,新たな教材をつくりにくい教科のようで,そもそも教育内容自体が単純化され整理されたものばかり教え込んでいるために,そういう魅力的な授業はやりにくいのでしょう。ICT教材でお茶を濁すのが精一杯なのかもしれません。

 ドラえもんに登場する「暗記パン」の液体リキッド版をつくるのに,どのような化学物質が必要か・・・といった追究をさせてくれる理科の先生はいないでしょうか。

 「仮説実験授業」というのも,ずいぶん幼稚なものに見えましたが,それほどわかりやすくして後世に伝えてくれた先人の科学者たちに感謝です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より