ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 当ブログには珍しく,真正直なコメント・・・感謝です! | トップページ | アクティブ・ラーニングで失敗が目に見えていること »

IQが高くないのにテストの点が高い子どもたち

 知能検査も,何度も問題を見て慣れてしまうと,短い時間で勝負をかけるので高得点がとれてしまう。

 中学校の担任教師の場合,入学後すぐに実施することが多いので,3年に1回は同じ問題をながめることになる。

 だから教師が本気で実施したら,相当IQが高いことになってしまうのではないか。

 さすがに記憶力は衰えてきている気がするが,コツさえつかめば好結果を出しやすい。

 
 さて,前の記事とは逆に,IQは目を見張るものがないのに,テストの得点が高い子どもがいる。

 「それは努力のたまものだろう」と思われる人が多いと思うが,案外そうでもない。

 IQとテストは,同じ認知スキルでありながら,完全に相関関係にあるとは言えない。


 ある心理調査は,「あまり真面目にやらないこと」で良い評価がもらえる(悪い評価がつかない)ことがばれてしまったために,あまり当てにならなくなってしまった。

 知能検査も,もしかしたら「こんなパズルみたいなもの,どうでもいい」という「知性派」が,子どもの中にも隠れているかもしれない。

 知識をたくさん蓄えていたり,鋭い発想ができたりすることが,たとえばパズル系のクイズでわかったりすることがある。

 このようなクイズが好きな人が,よくできたりするというわけでもない。

 
 認知スキルとは言っても,奥が深く,人間はその正確な数値化ができたと言える段階にはないのかもしれない。

 
 非認知スキルとなると,なおさらである。

 同じパターンの問題を何回も解いて,また似たパターンのものが出題されれば,できがよくなるのはわかる。
 
 非認知スキルの向上には,「慣れ」が必要である。


 認知スキルと非認知スキルを相乗効果的に高める指導はないのだろうか。

 実は,すぐれた教師の一斉授業が,まさにその指導にあたる,という結論が出てしまうとしたら,

 アクティブ・ラーニングで食べようとしていた人たちの立場がなくなってしまうかもしれない。


 不思議と成績が上がってしまう子どもが多い家庭教師,塾講師,学校の教師を集めた分析を行ってくれた大学の先生はいないだろうか。その逆も。

 アクティブ・ラーニングをさせることよりも,自分自身がそのような学びができることの方が大切な教師が多いような気がする。
 
 どうしてそのような学び方に意義があるのか,よくわかっているというか,自分自身が実感している人でないと,子どもには意義が伝わりにくいのではないか。

 料理と同じで,食べさせることができるのなら話は早いが,味わったことのない料理を紹介するのは難しいに違いない。

 「おいしいとだれかが言っているが自分はその味がわからない料理」を自信をもって生徒にすすめる料理の先生はどこにもいないはずである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

« 当ブログには珍しく,真正直なコメント・・・感謝です! | トップページ | アクティブ・ラーニングで失敗が目に見えていること »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

アクティブ・ラーニング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: IQが高くないのにテストの点が高い子どもたち:

« 当ブログには珍しく,真正直なコメント・・・感謝です! | トップページ | アクティブ・ラーニングで失敗が目に見えていること »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より