『学び合い』で子どもに十字架を背負わせるリスクに乗るか?
柔道などでの死亡事故の他に,学校では重度の障害が残るような事故が起こっています。
『学校の管理下の災害〔平成25年版〕』によれば,平成24年度に小学校で子どもが亡くなったのは,
保健体育の準備・整理体操中が1人,学級活動中が1人,給食指導中が1人,
儀式的行事中が1人,水泳中が1人,校外での持久走で1人,休み時間中が1人,
昼休み時間中が2人,始業前,放課後がそれぞれ1人,登下校中がそれぞれ2人となっています。
このうち「突然死」に分類されている9人は,防ぐことが難しい事故だったかもしれませんが,
間近で友達の「死」に遭遇した子どもの心には大きな衝撃となって残っていることでしょう。
教師が担うはずの役割を子どもにさせる場合,たとえば,できるだけ多くの子どもに
跳び箱を跳ばせて,補助も子どもに任せようとする場合,事故が発生したときに
「悲惨な事故を防げなかった後悔」「亡くなったり重い障害が残ったりした友達への申し訳なさ」「重い責任」を感じる」のは子どもです。
重い十字架を残りの数十年の人生で背負い続けていかなければならなくなります。
もしそういう「責任を負わせること」も含めて教育目標におき,保護者の理解を得ているのであれば,「子どもを大人扱いしてくれる進んだ学校」としての評価も高まるかもしれません。
ただ,子どもに十字架を背負わせることになる可能性に耐えられる教師がどのくらいいるでしょうか。
教師は,「授業で死なせてしまった」「自分が補助していれば防げた」という後悔を当然背負うはずですが,「自分の目の前で事故が起こるよりましだ」などという無責任な感覚をもっている教師がすぐに飛びつくような指導方法になっていないかどうかが心配です。
『学び合い』では,子どもに事故を防ごうとする意識も高めさせたい,といいますが,
そんなことは遊びのなかで体得させるべきです。それが「主体的な学び」です。
10歳にも満たない子どもが教師主導の「主体性を学ぶ」過程で事故に遭遇した場合,
その子どもに「責任を感じさせること」の教育的意義がどれだけあると言えるのでしょうか。
管理職の多くは,このような発想で『学び合い』に強烈な危機感を抱いています。
小学校の教育がおそろしいのは,教師の授業を全く聞かなくても,あるいは不登校でも,塾なり通信添削で家庭学習している子どもが「学力調査」的なペーパーテストでは満点がとれてしまうような低レベルなカリキュラムであることです。
「先生に教えてくれなくてもできる」ということが,「主体的な学習を促す」こととイコールであるのかどうか,しっかりと教師が意見交換をするべきです。
「勉強ができないこと」を自分たちの能力が足りないせいだと納得させることができる教室での『学び合い』については,日本に大量の「あきらめ層」を作り出し,低賃金に甘んじる余裕を与えることになるかもしれません。
それが本音のねらいであるとしたら,国の政策として,強制的にでも導入することになるかもしれませんね。
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