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「基礎」ほど難しいものはない

 スポーツにしろ勉学にしろ,「基礎が大事」だということを疑う人はいないだろう。

 わかりやすい例は,基礎問題ができないのに応用問題ができることはないという感覚。

 ただ,「基礎」の定義はとても難しいものである。

 「基礎」の中にすでに「応用的なもの」が含まれてしまっている場合があるし,

 「基礎」ができているつもりでも,全く「応用」に歯がたたない,という場合もあるからである。


 学習指導要領では,基礎的な知識・技能の習得が大事で,かつ,それらを活用する

 思考力を育成することが求められる,としている。

 実践している人はすぐにわかると思うが,実は基礎的な知識を単純に使えば思考できるわけでもない。

 思考した結果として,本当の知識が身に付くという場合も多い。

 だからこれらは単純に「基礎」と「応用」として区別することができないものである。

 知識はあるのに「教え方」がわからない教師がいるのもわかりやすい例だろう。


 文科省としては少し都合が悪いことに,「思考のルーチン」「思考の技能」などの新しい

 言葉が平気で使われるアクティブラーニングが注目されてしまった。

 従来の4つの観点では評価できないジャンルができてしまっていることに,一部の人は気づいている。

 これは,「新たに指導し,評価すべき観点が加わった」と捉えるべきである。


 「思考」するにもいくつもの方法があり,自分がどのような考え方を使うべきかを

 判断する能力も求められるようになっていくのがこれからの時代である。

 
 困るのは,教師の方である。

 今までに「検証」などという言葉を使ったことがない教師は,

 仮説も理論もなく,当たり前の実践をして,ただ気づいたことを挙げただけで

 「検証した」などとうかれてしまったりする。

 
 野球部が試合に勝てない。

 実践練習をやめて,単純なゴロのノックを繰り返ししてやった。

 そうしたら,野球が好きになってくれた。

 難しいプレーにチャレンジさせるだけでは,満足感は得られないことがわかった。

 これが本当にすべての生徒にあてはまるかどうかを確かめるのが「検証」である。

 「検証」を始める前に,ろくな「仮説」が立てられなければ,理論もくそもない。

 だれでもわかることを「仮説」と言ってみても仕方がないのだ。

 そもそも生徒は多様な価値観をもっているという大前提を喪失しているのがダメ教師の典型である。

 これから教師を志す学生たちも,気の毒である。

 教育実習の現場に行って,何を学ばせられて大学に帰ってくるのか。

 その実態を明らかにしたら,それこそ教職課程の単位そのものへの信頼など消し飛んでしまうかもしれない。

 
 自分にはできないことを,他人には平気で要求するのがダメな教師のわかりやすい姿である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より