「どうやったか」は記憶に残りやすく「やった気になる」ことが危険なアクティブ・ラーニング
メタ認知の重要性はわかる人にはわかるだろうが,
自分の学習がコントロールできることと,何かの課題が自由自在に解決できるようになることとはイコールではない。
アクティブ・ラーニングと称する学習形態が今後新たに試され,その成果が検証される研究が増えるだろうが,教師が最も注意すべきことは,子どもが「やった気になった」だけで満足しない,させないことである。
教師は子どもが満足そうな顔をして授業を終えると,何となく「仕事をした」感覚に陥りやすいが,大切なのは「何が理解できたか」「理解できたことを次の学習でどう活用できるか」である。
ようやく,ただの穴埋め問題ができたからといって「理解している」とは言えないことが常識になろうとしている。
ただ暗記しているだけで,全く応用できないような「記憶」を「知識」と呼ぶべきではないという考えも,一般化されようとしている。
本物の「知識」や「理解」とは,深い思考や多様な表現活動,意見交換を通して身につけられるようになることを,経験が豊富な教師なら身にしみてわかっているはずである。
「みんなで話し合った」
「発表した」
ことは,記憶に残っている。
ただ,「何を話し合ったのか」「話し合った結果,何が何であることがわかったのか」
「何を発表したのか」「何が疑問点はなかったか」
と問われると,答えられない子どもはいないか。
じっと教師の話を聞いたり,本を読んだりして理解できないことは,
教師なり興味を抱かせない本のせいにできるが,
話し合い活動をして,理解できなかったことには納得してしまう子どもがいる。
つまり,教師が自らに責任がふりかからないように逃げるための仕組みになりやすいのが
「アクティブ・ラーニング」の本質であり,
「アクティブ・ラーニング」を進めようとする教師の本音が,
「責任逃れ」にあるとしたら,子どもたちは本当に気の毒である。
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