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指導主事の力量の劣化は何をもたらすか

 教育委員会が怖ければ,「指導主事の劣化」など指摘のしようがない。

 直接は言えないから,周辺への愚痴というかたちで耳に入ることになる。

 しかしこの手の悩みを最も強く抱えているのは,教育委員会自体であると私は信じたい。

 そもそも教師のなかに,管理職を希望する人が極端に減り始めている。

 ある自治体では,とうとう小学校の副校長の「予備軍」が底をついたそうだ。

 だから中学校籍のうち,「嫌と言えない」人のよい人が,無理矢理小学校にまわされている。

 現場もこんな状況だが,もっとひどいのが教育委員会で一騎当千の働きを期待されてきた指導主事の劣化だという。

 指導主事の仕事の手抜きによって現場が迷惑を被るもののうち,最もわかりやすいのが「締め切りのある調査もの」の依頼の遅れである。

 国からの調査は,だいたいいつごろ何が来るかはわかっているはずである。

 だから,賢い現場の副校長は,調査依頼が遅いのを心配して,教育委員会に連絡する。

 それで「まだ現場におろしていないこと」に気づく教育委員会もあるという。

 市区村長の教育委員会は,都道府県の教育委員会にあげ,そこから文科省にあげる。

 「3つの締め切り」があるわけだが,当然,市区村長の締め切りが最も早い。

 教育委員会がぼーっとしていると,「締め切りの2日前に調査依頼が届く」なんていう酷いケースも出てくる。

 それでも文句を言わずに粛々と業務をこなすのが副校長の仕事である。

 だから副校長がまず壊れることになるのは容易に想像がつく。

 体を壊す。心を壊す。家庭を壊す。もう他に壊すものがなくなると思いきや,私の地元の学校では

 盗撮がばれてクビになった副校長が出現した。学校の信頼も壊す。

 教育委員会というところは,教育の専門的事項に関する知識や技能,経験のない「事務方」と,

 主戦力である「指導主事」がいるのだが,主戦力であるはずの指導主事にとって,

 「指導の能力の欠如」が現場にばれてしまうのが致命的な問題である。

 教育委員会を信用できない教員が,現場の管理職になろうなどと思えなくなるのは当然である。

 今,公立学校の教育現場では,隠しようがないほどの「人材不足」に苦しめられている。

 事務方にがんばってもらいたい唯一の解決法は,徹底的な学校の統廃合である。

 「適正規模でない学校をゼロにする」ことを都市部の教育委員会は徹底すべきである。

 過疎地域の場合は,子どもが少なすぎて,適正規模の学校自体がつくりようがないから,今までの教育施設とは全く概念の異なる学校を創設し,「人の配置の無駄」を省く努力をすべきである。

 市区町村教育委員会のうち,指導主事がいない小規模な組織は別として,

 広域の管轄をもつ教育事務所をつくり,「本来の」指導事務の役割を高めるという方法もある。

 校長先生の愚痴には,若い先生たちの未来を霞ませる威力がある。

 こういう問題を解決する能力とやる気がある機関が存在しないことが残念でならない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より