ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「子育ての成功」とは何か | トップページ | 自己弁護のための「作文」ほど見苦しいものはない »

「子育て」の成功への意欲

 「子育て」への関心の高さは,子どもが何歳くらいのときがピークだろうか。

 「子育て支援本」「子育て指南本」では,何歳くらいの子どもをもつ親をターゲットにしているのだろうか。
 
 小学校の中学年くらいになると,「受験指南」の本を求める親が多くなるが,

 ここでは「お受験」ママ・パパの話は除外させていただく。

 「希望格差時代」というのは少し前にはやったかもしれない言葉だが,

 あまりに現実的すぎる言葉というのもマスコミなどは使うことを遠慮するものである。

 ここでは,子どもに期待をかけてくれる親を想定する。

 中でも「成功」のハードルが高い親。

 多くの親は,ある程度の時期を過ぎると,現実を知って,「あきらめ」てくれる。

 期待をかけて育ててきたものの,すべての子どもがノーベル賞をもらえるような学者や文学者などになれるわけではない。

 すべての子どもが東大に合格できるわけではない。

 すべての子どもが甲子園で優秀できるわけではない。

 みんな,「ほどほど」まで活躍できて,満足せざるを得ないのがこの世というものである。


 しかし,中学生ぐらいまでは,どうしても「過剰期待」を継続する親が少なくない。

 特に,それなりのネームバリューがある学校に通わせていたり,

 トップアスリートを育ててきたコーチに習っていたりすると,

 「夢をあきらめない」親がたくさんいたりする。

 「成功」への意欲というものがあるから,「成功」への道が見えてくると信じている。

 最も重要な事実から目を背けて。


 最も重要な事実とは,

 「成功」させるのは子どもの方だ,ということである。

 「親は本気だが子どもの気が乗らない」という話は耳にタコができるほど聞いた。

 「成功」するためには努力が必要である。

 その努力をするのは子どもである。

 親は何を努力しているのか。


 子どもに努力させようとする努力をする。

 いちいち細かな指示を出し,「努力している」姿を見ないと気がすまない。

 こういう親の子どもの中に,

 「成功とは親を喜ばせることだ」と誤解する「よい子」がつくられていく。

 そして,やがて,つぶれていく。

 親がまず心を病み,続いて子どもの心も蝕まれていく。


 こういうタイプの「心の病気」に対して,カウンセラーはどのような役に立てるのだろう。

 子どもがつぶれた後の親の中には,

 「こんなことになったのは学校のせいだ」と教師への攻撃を開始する人が増えてくる。

 それが今の「教師の多忙化」の原因の一つである。


 「成功」とは何がどうなった状態を示すのか。

 「夢のような成功」と,送りバントの成功のような,「手堅い成功」と,区別できているか。

 
 そして,「成功への意欲」によって,とても醜い姿を子どもの前でさらしていないか。

 親は鏡を見るべきであり,自分が鏡であるべきである。

 
 玄関のくつをそろえてくれてありがとう。

 食器をかたづけてくれてありがとう。

 洗濯物をたたんでくれてありがとう。

 
 親が子に,子が親に感謝できる家庭の中から,「子育ての成功者」は生まれると信じていたい。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 「子育ての成功」とは何か | トップページ | 自己弁護のための「作文」ほど見苦しいものはない »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

「ゆとり教育」」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「子育て」の成功への意欲:

« 「子育ての成功」とは何か | トップページ | 自己弁護のための「作文」ほど見苦しいものはない »

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より