ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« アクティブ・ラーニングの「不要感」をどうするか | トップページ | 次期学習指導要領を「失敗の焼き直し」にしないように »

あなたは他人の子どもを親とセットで公衆の面前でけなすことができますか?

 教師の中には,何のためらいもなく公衆の面前で親や子どもを罵倒することができる人間がいる。

 行為そのものではなく,人格に対する攻撃を始める人間である。

 人の心を傷つけるということの意味が全く理解できない「不適格教師」である。

 以前に紹介した話だが,ある自治体の教師がタクシーでさんざん親と子の悪口を吐き続けていたところ,運転手が地元の方でとても憤り,教育委員会に苦情を訴えたことがあった。

 教育委員会は,校長を通じて,「教員にタクシー内で親や子どもの悪口を言わないように」という注意を下すに到った。

 「お前は何様か」というのが市民感覚である。

 「お前の子どもこそどうなんだ」というのが小市民感覚である。

 「子どももいないくせに,何様のつもりで親が幼いとか言えるんだ」と思われる感覚をもたない人間,想像力を欠く人間が,なぜか教師になれてしまっている。

 昔,さんざん子どもや親への愚痴をブログに書いていた自称「魔女」がいたが,こういう「うさばらし」を読む人間の中にも,もちろん良識派はいないでもない。


 ただ,「お前に言われたくはない」と思わせるような教師が多すぎるのである。

 社会人としてはとても通用しにくい,いわゆる「コミュ障」教師がいたるところの学校にうようよしていることは,もちろんだが子どもの教育上もよろしくはない。

 「コミュ障」が「コミュ障」をこきおろすという醜い文章にも出会うことがある。

 学力以前の人間として最も大切なものを,失わせるばかりか,

 余計な価値観を植え付けられる恐怖を保護者が抱いたとき,

 いよいよ本格的な教育崩壊が始まるおそれがある。

 歯止め役になれる教師はいるだろうか。

 (教育)公務員として果たすべき役割とは何か。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« アクティブ・ラーニングの「不要感」をどうするか | トップページ | 次期学習指導要領を「失敗の焼き直し」にしないように »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« アクティブ・ラーニングの「不要感」をどうするか | トップページ | 次期学習指導要領を「失敗の焼き直し」にしないように »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より