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「十分な防災設備をつくるべき」VS「海が見えないまちには住みたくない」

 東日本大震災の被災地を定期的に訪れている中学生のレポートを読ませてもらった。

 詳しく紹介したいところだが,一番印象に残った内容だけ書き留めておく。

 新たな堤防づくりが計画されているそうだが,住民の中には「海が見えなくなるような堤防はいやだ」という意見もあるらしい。

 まちを訪れた中学生は,住民に共感していたようである。

 歴史的に,隣国などとの戦争で亡くなる人が多かった国と,日本のように災害で命を落とす人が多かった国では,ものの考え方に決定的な違いをもらたす可能性があることにも気づかされる。

 後者のような危険がある日本は,世界の国々の中では少数派であり,

 他国にはない「強み」を日本人が持っている一方で,「弱み」の根も深いようだ。

 災害をもたらす可能性がある日本の自然は,「美」であふれている。

 噴火をすれば恨みの対象になる火山も,穏やかなうちは「宝物」である。

 災害のおそろしさを知っている日本人は,同時に自然のはてしない美に囲まれて生きている。

 万葉集や古今和歌集の歌にふれると,1000年以上も変わらない自然を五感で楽しむ心があることを実感することができる。

 危険をゼロにすることはできないし,ゼロに近づければ近づけるほど,生活がしにくくなり,不自由さに息が詰まってくるだろう。

 自然の美を十分に堪能しつつ,リスクを上手にコントロールする知恵を磨いていきたい。

 「ここの堤防は完璧だ」という極端な「信仰」によって命を落とす人もいた。

 「安全だ」と信じることで本当に「安全」になるという「信仰」によって命を落とす人もいた。

 
 じっとしていないで,動きながら考え,考えながら動ける人になれるような教育を心がけたい。
 
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より