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国語力のない人間が書いた通知文をさらに国語力がない人間が曲解する文科省

 池上彰さんが日経の連載「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」の記事(10月19日)

>文科省は「誤解」というが~国立大改革通知の波紋

 の冒頭で,国語の問題を出題してくれました。

 引用します。

>以下の文章で、「廃止」対象として挙げられているものは何か、答えよ。

 「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」

>文部科学省の答え。「教員養成系だけであり、人文社会科学系は含まれていない」

 国語力のなさはおそろしいほどですね。

 「正しい理解」を「誤解」と言い放つところなど,もはやどこかの国の人間たちと一緒です。


 しかも,経団連からダメ出しされたことが,大臣の反省の弁の発端だと言うから・・・。

 
>「誤解を与える文章」だと認めるなら、通知を撤回すればいいのに、文科省は撤回しようとしません。過失や責任を認めようとしない。国立競技場の建て替えをめぐる騒動での文科省の態度を想起させます。小学校の「道徳」の指導要録の中には、評価基準として「責任感」が入っているのですが。

 
 この国の教育政策の中枢が,これです。


 ちゃんと記述式問題を解いて入学した学生と,記述問題の採点ができる教師がいる大学で,教員養成系を廃止する。

 選択問題だけで入学できた学生と,良問をつくる必要も能力もなく,採点の必要のないが教師がいる大学は,今まで通り,続けられる。

 新大学入試制度では,「記述問題を導入する」ってか。国立大学がちゃんと取り組んできた入試。

 まともな高校でもみんなやっているけど,業者テストだのみのところでは,昔のまま,何も変わらない。

 すべてがちぐはぐ。ちんぷんかんぷん。


 21日の日経の記事。

>全国86の国立大学のうち、26大学が2016年度以降、人文社会科学系の学部の組織再編を計画していることが20日、分かった。

 さすが文部科学省附属大学。文部科学省から派遣されていた人たちが案をねったのか,対応が早いですね。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より