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レジリエンスは学校教育で鍛えられている

 レジリエンス・・・まだあまり認知度は高くないカタカナ語で,抵抗感がある人もいるでしょう。

 しかし,少し前にはやって,また今年あたり,「レジリエンス」をタイトルに入れた書籍がたくさん出版されています。

 業界にとっては「はやり」のキーワードということです。

 私の手元に何冊かの本がありますが,久世浩司著『「レジリエンス」の鍛え方』(実業之日本社)の冒頭で,まずレジリエンスの定義についてふれてくれていますので,紹介しておきます。

>「レジリエンス」とは,もともと環境学で生態系の環境変化に対する「復元力」を表す言葉として使われていました。それが現代心理学で人の「精神的な回復力」を示す言葉として使われ始めました。

>アメリカ心理学会では,レジリエンスのことを「逆境やトラブル,強いストレスに直面したときに,適応する精神力と心理的プロセス」と説明しています。

 というわけで,レジリエンスは,心理学者,うつ病患者などの治療にあたるカウンセラーや精神科医,企業の人材育成にかかわる人などが注目し,本で仕事を紹介している内容ということになっています。

 日本でレジリエンスが注目されるきっかけになったのは,災害からの復興でたくましく生きる人たちへの感動がもとになっているのかもしれません。

 というか,日本人というのは,災害大国で暮らしてきた経験から,かなり高度なレジリエンスをもっている人間だと考えることができそうです。

 ただ,学校で教師をしていると,「こんなことでくじけるのか」と驚いてしまうほど弱い子どもたちを目にすることが多くなってきました。

 『いじめ』を受けてからかなりの短期間で自殺を選ぶようになる子どもは,『いじめ』を受ける前にどのような生き方をしてきたのか。最も調査がしにくい対象でしょうが,教育の専門家というのはぜひともこういうところに目を向けてほしいものです。

 一方で,上に紹介した本を読んでいると,ごく一般の公立学校というところでは,レジリエンスを鍛える教育をずっとしてきているんだということにも気づかされました。

 『いじめ』を放置している,なんていう皮肉が言いたいわけではありません。

 これから何回かに分けて,レジリエンスと学校教育の関係を考えていきたいと思います。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より